大阪の別称「なにわ」は「魚(な)庭」を語源とする説があるほど、魚介類が豊富な海域として古来知られていた。流入する武庫川、猪名川、淀川、大和川、大津川などの河川が栄養を運ぶほか、明石海峡の海流の早さなどから身のしまった魚が多く獲れ、古くから沿岸漁業が盛んだった。黒鯛がよく獲れたことから、チヌ(茅渟)は黒鯛の別名のひとつになっている。
しかし、都市圏に隣接する閉鎖性水域であり[注 10]、比較的早い時期から水質悪化などの環境問題が生じた。第二次世界大戦後に進んだ沿岸の開発や都市化で干潟など自然海岸の消失や赤潮の頻発もふくめて水質汚濁が進んだが[注 11][3][4]、現在でも大阪府の泉州地方の南部や神戸市の須磨区や垂水区、淡路島の東岸には比較的に自然に近い海岸も残されており、海水浴場などの行楽地や漁港が点在し、漁業やマリンスポーツとしての釣りが行われている。しかし、魚介類の生息にも環境破壊の影響は顕著にみられ、全体的な漁獲量の減少やガザミ類やモガイ(サルボウ)などの急減も招いた[3]。
生態系の破壊や環境破壊が深刻化する以前は、鯨類[注 12][5][6][7][8]やニホンアシカ[9][10]やウミガメや大型魚[注 13][11]が大阪湾を含む瀬戸内海に普遍的に回遊・分布していたとみられる。
近年でも、天然記念物のスナメリ[注 14]が関西国際空港周辺に定着し始めていると判明し[12]、ウミガメの産卵地点もいくつか存在し[13]、ハセイルカやミナミハンドウイルカなども時折現れる[14][15]。また、今でこそ瀬戸内海への通常の回遊こそ消滅したが、近代になってからもクジラ[7][16][17][18]やシャチ[8]やサメやクロマグロ[11]やバショウカジキなどの確認例[注 15]も存在し[15]、特筆すべき事例もいくつか含まれる[注 16][注 17][19][20]。
また、男里川
や大津川などはシオマネキやシギやチドリなどの生息地として知られている[3]。古称の「茅渟の海」は、日本神話の神武東征において、神武天皇の兄の五瀬命が矢を受けて負傷した際に、傷口をこの海で洗ったことから「血沼(ちぬ)の海」と呼んだことが由来となっている。
瀬戸内海航路の起点として、古代の朝廷は淀川の河口に難波津や住吉津などを置いた。