大阪湾
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交易の海大阪港六甲山天覧台(六甲山上展望台)のパノラマ夜景写真

古称の「茅渟の海」は、日本神話神武東征において、神武天皇の兄の五瀬命を受けて負傷した際に、傷口をこの海で洗ったことから「血沼(ちぬ)の海」と呼んだことが由来となっている。

瀬戸内海航路の起点として、古代の朝廷は淀川の河口に難波津住吉津などを置いた。これらはシルクロードの日本の玄関口となり、遣隋使遣唐使の出発地であり、また中国や朝鮮からの船を迎えて栄えた。内陸の飛鳥平城京平安京とは河川舟運で結ばれ、さらに陸路で東日本へ繋がっていた。また国が対外的に開かれた時期は難波宮難波京福原京(計画)などの都が置かれた。

淀川の河口に形成されたデルタは難波八十島(なにわのやそしま)と呼ばれ、かつて天皇即位する際に斎行されていた八十嶋祭の場で、天皇は大阪湾の澄ノ江(住江、住吉の浜)で身を清め、八十嶋の御霊を付着させる祭事を行った。平安時代後期においては、渡辺綱(源綱)を祖とする渡辺氏が、滝口武者(天皇を護衛する武者)の一族として天皇の清めの儀式(八十嶋祭)に携わることから、大阪湾を支配する水軍系の武家として、瀬戸内海の水軍系武士の棟梁となる。渡辺氏の分流が九州の水軍棟梁の松浦氏である。

平安時代末期には平清盛大輪田泊を修築拡大して日宋貿易の拠点とした。戦国時代には兵庫津堺港日明貿易南蛮貿易で栄えた。西日本の交通の要衝であるため交易だけでなく、戦国時代には度々戦場となった(木津川口の戦い)。鎖国で対外交易が途絶えた江戸時代には安治川口・木津川口が繁栄して北前船樽廻船菱垣廻船などが経済の中心地となった大坂と全国とを結んだ。

近現代の海軍省海上保安庁が刊行する海図においては、1954年まで別称の「和泉灘」と表記されており、以降も1966年まで「大阪湾(和泉灘)」と併記されていた。

1173年 平清盛大輪田泊(現在の神戸港)を改修

1868年 大阪港及び神戸港が開港

1966年 ポートアイランド着工

1994年 関西国際空港が開港

1998年 明石海峡大橋が供用開始

2006年 神戸空港が開港

景勝地

淀川以南には、住吉の浜や高師浜など白砂青松の砂浜海岸が延々と続き、景勝地として多くの和歌などに詠われた。天智天皇の子の長皇子が住吉の浜の霰松原の美景を歌った和歌があり、風光明媚の典型図柄の一つとされる「住吉模様」は、住吉大社の社前の景色を図案化したものである。

以南には明治以降に多くの海水浴場が設置され、海浜リゾート地として賑わっていたが、高度成長期に工業化にともなう水質悪化や埋め立てなどでほとんど姿を消した。

現在の景勝地としては大阪湾を俯瞰できる六甲山地掬星台が日本三大夜景の一つとして広く知られる存在である。
工業地帯と将来堺泉北臨海工業地帯

大阪や神戸周辺の湾岸は第二次大戦前からの工業地帯で永らく日本最大の重工業集積地であったが、多くの工場が老朽化などで拠点工場としての地位を各地の新しいコンビナートに譲っている。また、堺泉北臨海工業地帯などの比較的新しい重厚長大型コンビナートも1980年代以降の産業構造の変化に対応しきれない状態があった。

現在は官民協力で湾岸の再生が構想されておりシャープが堺市堺区新日本製鐵堺製鐵所の高炉跡に液晶パネル工場、パナソニック尼崎市プラズマパネル工場を建設している。また、パナソニックが大阪市住之江区関西電力大阪発電所跡地に、三洋電機貝塚市リチウムイオン電池工場を建設している。

堺市付近は新エネルギーの開発拠点ともなっており、堺市西区にはバイオエタノール・ジャパン・関西の稼動、関西電力による大型太陽光発電所が建築中である。
交通

本土と淡路島とは1949年(昭和24年)から1999年まで兵庫県洲本市 - 大阪府岬町間に定期航路「洲本 - 深日航路」があった[21]。2017年から航路の復活の社会実験を行う「深日洲本ライナー」が運航されている[21]
環境問題

自然砂浜の消失、水質汚濁、生物多様性の低下などの問題がある[1]
海底の環境

1970 - 1980年代にかけて埋め立てなどの理由で海底の土砂が大量に削られたため海底に窪地ができている。この窪地は湾内に十数個あり、面積は最大で約126ヘクタール、深さは約12メートルに及ぶ。近年、ここから浮上する酸素濃度の低い海水などが原因となって青潮の被害が発生しているため、大阪府は阪神港浚渫で生じる土砂で埋めもどすことを検討している[22]

海面の浮遊ゴミ撤去など大阪湾の環境保全は進んでいるが、古くからの工業都市である大阪から流れ出した有害物質はヘドロとなって水底に堆積しており[23](詳細は「底質汚染」を参照)、かつてはダイオキシン類底質環境基準の超過が湾内各地であったが、現在は徐々に低減している(調査地点の一つである神崎川河口では2004年まで環境基準(150pg-TEQ/g)を超過していたが、2005年は環境基準以下の100pg-TEQ/gとなった)[24]。ただし、大阪湾に流入する水質の改善に比べて大阪湾の水質の改善が遅れているのは、底質汚染が要因の一つとされている(大阪市港湾部や神戸遠矢浜の底質汚染が調査され測定結果が公開されている[25])。

大阪湾の海底環境は全国的に見て悪い状態にあり、2007年から2008年に行なった環境省の調査では推定で1平方キロメートル当たり約210キログラムものゴミが沈んでいることがわかった[26]

大阪湾の水質

環境基本法(環境省,1993) に基づく利用目的の適応性に応じた海域別の類型指定がなされ、それぞれCOD基準値が定められている。湾口部から湾奥部に向かって A、B、C の順で 3類型が指定され、それぞれのCOD基準値は、水浴、自然環境保全を利用目的としたA類型では 2 mg/L、工業用水を利用目的としたB類型では 3mg/L、環境保全を利用目的とした C 類型では 8 mg/Lとされた。

大阪湾の沿岸域における水質の変動傾向については、過去約 20 年で全窒素、全リンともに減少傾向にあるにもかかわらず、COD は低下していないことが報告されている(藤原,2014;環境省,2019; 大阪湾再生推進会議,2021;藤原ほか,2021)。このような現象は総量規制が行われてきた他の沿岸域にもみられる現象であるが,いずれも決定的な原因は明らかになっていない。

総量規制の効果は、大阪湾内全体で一様に進行するのではなく、河川からの負荷の影響が海域によって、また、COD、窒素、リンそれぞれによっても異なって発現し、それには湾内における内部生産が影響していることが示唆されている
[27]

合流式下水道越流水問題

雨水も家庭排水などの下水も、下水道を通じて下水処理場まで運んでいる場合、大量の雨水が下水道に流れ込んでしまい、下水道管で受け止めきれなかった一定量については、汚水未処理のまま河川の公共水域に放流せざるを得ない状況が発生しており、大雨時には放流海域での大腸菌数の増加など、環境影響が発生している。
災害リスク

江戸時代以前には、大阪市街にも津波が襲来した記録がある[28]


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