大阪毎日新聞
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『日本立憲政党新聞』、『大阪日報』、『大阪毎日新聞』とも創刊以来幾たびとも題字と地紋に変更があった。
『日本立憲政党新聞』は右横書きの筆文字。『大阪日報』は時期により縦書き筆文字と右横書き明朝体活字とがあった。
『大阪毎日新聞』の題字は隷書体の縦書き文字となる。のち、「大阪」のみ右横書きに変更され、1889年7月11日より横線に梅花を配した地紋が入る。

『毎日新聞』に改題して以降は毎日新聞の項を参照のこと。


社旗は「大」の字を星形にかたどり、その中央に「毎」の字を丸で囲んだものを配したマークを中心に、赤の二本帯線を背後に引いた意匠であった。二本帯線は雲を表し、星は文化の明星を表すとされた。この大毎マークは1897年3月31日に制定されたもの。社旗と社章は1943年1月1日に大阪毎日新聞から毎日新聞社へ社名を変更した以降も1991年11月4日までそのまま使用された。

社章は上記大毎マークの他、アルファベットの「O」と「M」を組み合わせた意匠も併用していた。

本社堂島アバンザに保存されている旧大阪毎日新聞本社の玄関部分

創刊当時は、大阪市東区大川町(現・中央区北浜)の現在、住友ビル(住友銀行本店営業部→三井住友銀行大阪本店営業部)が建っている場所にあった五十五番屋敷を拠点とした。

1922年大正11年)に波江悌夫の設計で大阪市北区堂島に本社社屋を新築し、移転した。毎日新聞社になった後の1956年(昭和31年)、増築部分となる毎日大阪会館北館が完成した。

毎日新聞大阪本社は1992年(平成4年)、北区梅田3丁目の現本社ビルに移転する。旧本社社屋・毎日大阪会館北館は堂島アバンザに建て替えられたが、旧社屋玄関部分がビル正面のオープンスペース内に保存されている。
拠点

近畿北陸中国四国を管轄地域とし、その取材・販売網は毎日新聞大阪本社に引き継がれた。

三重県中部本社山口県西部本社の管轄となっている。ただし、三重県伊賀市名張市熊野市南牟婁郡御浜町紀宝町は大阪本社の管轄となっている一方、島根県石見地方は西部本社の管轄である。石見地方では2009年までに朝日、読売の発行本社が大阪本社に統一されたが、毎日新聞では現在も出雲地方隠岐島など東部は大阪本社、石見地方は西部本社の管轄になっている。
主な事業

全国中学校庭球選手権大会 - 1908年(明治41年)創始。1963年インターハイに組み込まれ、毎日新聞社の事業ではなくなった。

国際オリムピック大会選手予選会 - 1911年(明治44年)に行われ、大毎は最優秀選手に贈られるシルバーカップを寄贈した。

日本フットボール優勝大会 - 1918年(大正7年)創始。

全国高等学校ラグビーフットボール大会

全国高等学校サッカー選手権大会


全国学生相撲選手権大会 - 大阪医科大学学長佐多愛彦の提唱により1919年(大正8年)創始。

全国中等学校相撲大会 - こちらも佐多の提唱により1919年創始。1963年にインターハイに組み込まれ、毎日新聞社の事業ではなくなった。

選抜高等学校野球大会 - 1924年(大正13年)創始。

名人戦 (将棋) - 東日学芸部長阿部眞之助が企画し1935年(昭和10年)創始。大毎も東日の上層という建前上、連名で主催者となっていたが、実際の運営は東日一本で行われた。

本因坊戦 - 1939年(昭和14年)創始。ただし、こちらも大毎は建前上連名で主催者となっていただけで、実際の運営は東日一本で行われた。

著名な在籍人物「毎日新聞社#出身者・関係者」も参照

芥川龍之介 - 1919年(大正8年)入社。作家。

井上靖 - 1936年(昭和11年)入社。学芸部副部長から芥川賞受賞をきっかけに作家に転向。

大山康晴 - 将棋六段だった1942年(昭和17年)に嘱託雇用。後に実力制第三代名人となり通算18期獲得して十五世名人となった。

岡崎高厚 - 1882年、日本立憲政党新聞創刊に参加。

尾張久次 - 1927年入社。印刷工から運動部記者という異例の叩き上げを経て、プロ野球南海ホークス専属スコアラーに転職。

河津祐之 - 1882年、日本立憲政党新聞創刊に参加し第2代主幹。後に司法省逓信省官僚、東京法学校(現・法政大学)校長。

岸田俊子 - 1882年、弱冠18歳で自由民権運動の弁士となり日本立憲政党新聞客員。後に中島と結婚。

菊池寛 - 1919年(大正8年)時事新報から移籍。1923年、文藝春秋創業のため退社。

草間時福 - 1882年(明治15年)東京横浜毎日新聞から移籍し日本立憲政党新聞創刊に参加。

小室信介 - 1879年(明治12年)大阪日報に入社。その後、自由新聞を経て東京で自由燈(現・朝日新聞東京本社版)創刊に参加。

坂田勝郎 - 1932年入社。毎日新聞社常務取締役大阪本社代表から毎日放送へ移籍し副社長・第4代社長・会長を歴任。

城山静一 - 1882年、日本立憲政党新聞創刊に参加。

高石真五郎 - 1901年(明治34年)入社。大毎会長兼主筆から毎日新聞社社長。戦後、IOC委員・日本自転車振興会(現・JKA)会長などを歴任。

高橋信三 - 1928年大阪時事新報から移籍。副主筆を経て毎日放送第2代社長(実質創業者)、東京12チャンネル取締役などを歴任。

中島信行 - 1882年、日本立憲政党新聞創刊に参加し社長。後に自由党副総理、初代衆議院議長貴族院議員などを歴任。

西川甫 - 1876年(明治9年)大阪日報を創業し初代社主。

西村真琴 - 生物学者、俳優西村晃の実父。1927年(昭和2年)から1945年(昭和20年)まで在籍。

平野万里 - 大坂裁判所判事から1876年、大阪日報の創業に参加し初代社長。西南戦争後に経営を巡って西川と対立し『大阪新報』を起業。

平川清風 - 1914年入社。社会部長を経て常務取締役編集主幹。

古沢滋 - 1880年(明治13年)大阪日報社長。日本立憲政党新聞では主幹。その後自由新聞主筆を経て明治政府官僚、奈良県知事石川県知事山口県知事、貴族院議員などを歴任。

本田親男 - 1924年神戸新聞から移籍。大毎社会部長、毎日新聞大阪本社代表を経て毎日新聞社第8代社長。日本新聞協会会長、毎日放送会長などを歴任。

湯浅禎夫 - 1928年入社。大毎野球団選手から運動部記者を経てプロ野球毎日オリオンズ総監督に就任。

脚注[脚注の使い方]


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