大阪府立天王寺高等学校
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1896年4月13日 - 東成郡西高津村(現天王寺区下寺町1丁目)の大蓮寺境内で授業を開始[4]

1897年12月22日 - 東区東平野町大字南平野(現天王寺区上本町8丁目)に移転。

1899年 - 大阪府第五中学校に改称。

1901年6月3日 - 大阪府立天王寺中学校に改称[4]

1919年 - 東成郡天王寺村三明(現・阿倍野区三明町2丁目4番23号)の現校地に校舎が完成し、移転。

1927年1月22日 - 失火により1棟を残し校舎が焼失[5]。旧大阪府庁舎で授業継続。3月13日、旧大阪女子師範学校跡に仮校舎を設置。

1929年6月5日 - 新校舎が完成し、現在地に復帰[4]

1945年3月13日 - 第1回大阪大空襲により、校舎の一部が焼失。

1948年4月1日 - 学制改革により大阪府立天王寺高等学校に改称[4]

1948年4月24日 - 大阪府立夕陽丘高等学校(旧制夕陽丘高等女学校)と教職員・生徒を半分ずつ交換して男女共学となる。

1948年5月 - 校舎を新制中学校(東住吉中学校・田辺中学校)へ全面転用するため、夕陽丘高校内に仮移転。

1950年4月15日 - 1年生・3年生が現在地に復帰。

1951年4月1日 - 定時制課程(普通科)を併設。全日制課程に女子コース(家庭科コース)を併置。

1951年4月8日 - 全学年が現在地に復帰。

1952年4月8日 - 東住吉中学校が独立校舎に完全移転。これに伴い校舎は全面返還される。

1953年 - 交流先の夕陽丘高校との間で、体育系クラブの親善スポーツ大会「夕陽戦」(天高戦)が始まる(1985年まで毎年開催)。

1964年 - 全日制課程の女子コース(家庭科コース)を廃止。

1971年11月22日 - 服装自由化実施。

1992年 - 新校舎(現校舎)完成。

1993年 - 全日制課程に理数科を設置。

1994年 - 2学期制を実施。

1998年 - 台風により『あしび山荘』が損壊、2000年に新『あしび山荘』完成。

2002年 - 大阪府教育委員会よりエル・ハイスクール事業の指定を受ける(2003年度から2007年度までの5年間)。

2004年 - スーパーサイエンスハイスクール(SSH)に指定される。

2006年 - 創立110周年、夕陽丘高校創立100周年を記念し、「夕陽戦」(天高戦)が21年ぶりに復活(以後、毎年開催)。

2007年4月 - 公立高の新4学区制導入に伴い、通学区が拡大。第三学区となる。スーパーサイエンスハイスクールに再び指定される(指定期間は5年間)。

2008年3月 - 定時制課程が閉課程。

2010年 - コアスーパーサイエンスハイスクール(SSH指定校の理数系教育における中核としての機能の強化を図るため、従来の「中核的拠点育成プログラム」及び「重点枠」を整理・統合の上平成22年度から新たに設けられた)に指定される(指定期間は2年間)。

2011年 - 全日制課程に文理学科を設置

2016年 - 全日制課程の普通科を廃止

設置課程

全日制 文理学科

2011年度入学生から理数科を発展解消した、難関大学進学に重点を置く“文理学科”(4クラス160名)が設置され、普通科(5クラスで200名)と合わせて9クラス360名体制となった。また、医学部進学者のための、医系コースが新たに設置された(それまでは文系・理系コースに分かれていた)[要出典]。2016年度入学者選抜より普通科を廃止して、文理学科(9クラス360名)のみの募集となっている。
教育方針

校訓に『自由闊達 質実剛健』、生徒指導方針として『授業第一主義 鍛錬主義』を掲げる。2学期制で、完全学校週5日制(週休2日制)への対応として2002年より45分×7限という授業スタイルをとっている(早く授業を終わらせ、早く部活を開始し、早く家に帰って、少しでも多く勉強を出来るようにさせるため)。また、公立高校進学率日本一、呼応の教育の徹底を目標にしている。以上の方針で「天高魂」を育むことを最終目標としている。

私服での登校が可能だが、標準服のブレザーまたはそれに準ずる服装の着用が望ましい、とされている(たとえ私服であっても天高バッジを着けることが義務付けられている)。携帯電話の所持は可能だが、原則校内での使用は禁止、運動会や文展などの行事では撮影機能の使用に限定しての使用が認められることがある。

学校行事

「自由闊達」「質実剛健」をモットーに授業と同じく学校行事も重視しており、個性的な行事が多く存在する。
運動会

毎年5月末に実施。『祭(遊び)ではない』という考えから、体育祭ではなく「運動会」と呼ぶ。開始直後、当校独自の体操である『天高体操』を行う(通常の体育の授業でも行われている)。目玉種目はプログラム後半で、2年男子の『マスゲーム(高校生体操、組体操、棒倒し〈2017年度に廃止、2019年度に3年男子の種目として再開〉〉』と3年男子の『陸上ボート』。地元では一種の名物となっている。2009年より2年生の創作物が在学生テントの上に設置されることになった(2018年より立て看板方式へと変更)。また、運動会終了後に3年生だけが残って、学校のグラウンドで「ファイヤーストーム」が行われる。これは陸上ボートで使用したダンボールなどを燃やして、その周りで男女がペアでフォークダンスを踊るというものである。
水泳訓練

『臨海(学校)』とも呼ぶ。大阪のほとんどの学校で廃止されている伝統的行事。1年生のみ、泳力に応じて訓練する。ただし参加は希望制である。
野外生活体験学習

『林間(学校)』とも呼ぶ。1年生のみの行事で、同校山岳会(OB会)が奈良県の山中に所有している『あしび山荘』にクラス単位で1泊する。

なお、2016年度までは全員参加であったが、2017年度より希望者制となった。2018年度は猛暑のために中止になったが、夏季休業後に代替行事が行われた。
文化展示発表会

略して『文展』と呼ぶ。上記運動会と同じ理由で『文化祭』とは呼ばない。毎年9月の初?中旬の土曜日に1日だけ行われ、舞台発表、飲食模擬店、研究発表などを開催する。

毎年、生徒自治会が中心となって運営が行われていたが、文展の趣旨を踏まえ、2011年度から運営形態を見直し、文化展示発表会実行委員会の組織が強化された。

例年、1年生は舞台発表部門、2年生は飲食部門、3年生はイベント研究発表部門に分かれて発表を行っていたが、文理科設置に伴うクラス数増加の影響により、2011年度からは、飲食模擬店を行っていた2年生の一部のクラスがイベント研究発表に回ることになり、イベント研究発表部門の学年の障壁が撤廃された。1年生の舞台発表では、各クラスが約15分間の劇を行い、審査集計が行われる。審査方法は年度によって多少異なる(毎年、アンケートを実施し改善を施しながらの実施となっている)。
海外交流

年に2、3度、海外(韓国中国中心)から来日した高校生との交流を持つ。1998年から、春休み前後にオーストラリアの『ホーランドハイスクール』への海外留学も行っている。小論文面接で選考された1年生3名、2年生2名の計5名が約2週間、派遣される。派遣にかかる費用は、そのほとんどが同校の同窓会から支出され、生徒個人の負担は少なくなっている。帰国後、次年度の生徒総会にて海外交流の報告会が行われ、海外留学前に事前に決めていた研究テーマの発表も併せて行われる。
その他

入学式

遠足(全学年で4月下旬に実施)

修学旅行(2年)

文楽鑑賞会(2年)

能楽鑑賞会(1年)

長距離走大会(長居公園にて、1月下旬に開催。男子10km、女子6km)(1・2年)

合唱コンクール(優勝クラスは音楽祭で歌唱)(1年)

金剛登山(1年)

徒歩訓練(2年)

卒業式

球技大会(1・2・3年)

挌技大会(2年男子)

水泳大会(1・2年)

校内作品展(1・2年)

音楽祭(天高唯一の「祭」である。参加は希望制、運営は自治会が行う。)

勉強合宿(全学年の希望者)

職場見学・社会人講演会(1年)

クラブ活動

本学のおよそ9割の生徒がクラブ活動に所属している。クラブ活動の形態によって、運動系、文化系に分類され、毎週1回運動系クラブは「キャプテン会議」、文化系クラブは「文化部部長会議」が開かれ、各クラブの活動状況の報告、対戦成績の報告などが行われる。また、文化展示発表会に関する決め事などもこの会議で行われる。
運動系クラブ

ラグビー部は、全国高等学校ラグビーフットボール大会(花園)に戦前戦後と2回の優勝経験がある。

陸上競技部、水泳部、体操部、野球部、ハンドボール部、ラグビー部、バレーボール部、バスケットボール部、サッカー部、ホッケー部、硬式テニス部、ソフトテニス部、柔道部、剣道部、卓球部、山岳・スキー部、ワンダーフォーゲル部(平成23年度時点)
文化系クラブ

数学研究部、物理研究部、化学研究部、生物研究部、社会研究部、情報研究部、美術部、文藝部、演劇部、吹奏楽部、軽音楽部、放送部、茶華道部、フォークソング部、音楽部、書道部、囲碁将棋部、家庭科部、図書部、FAN(平成30年度時点)、競技かるた部(現在活動休止中の部活は映画研究部、PPURI、園芸部)


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