大阪市教育委員会は2007年6月、新商業高等学校(のちの大阪市立大阪ビジネスフロンティア高等学校)の開校計画時期を発表。新商業高校は既存の大阪市立天王寺商業高等学校・大阪市立市岡商業高等学校・大阪市立東商業高等学校の3校を統合して、従来の天王寺商業高等学校の場所に2012年4月の開校を目指すとした。2012年に新商業高校・大阪市立大阪ビジネスフロンティア高等学校の新校舎が完成した。
大阪ビジネスフロンティア高等学校の設置準備に伴い、英語科は2010年度から、商業科・情報システム科は2012年度からいずれも募集停止となった。2012年度から市岡商業高等学校・東商業高等学校の在校生も新商業高校内の新校舎に移転し、新商業高校・天王寺商業高等学校とともに新商業高等学校の校舎の共用を開始した。
年表
1880年11月 - 大阪商業講習所が設立される。
1901年 - 大阪市立大阪高等商業学校に改編され、同校内に附属甲種商業科を設置。
1911年 - 現在地に移転。
1912年 - 附属甲種商業科が大阪市立大阪甲種商業学校として独立開校(学校創立)。
1919年 - 大阪市立第一商業学校と改称。
1921年 - 大阪市立天王寺商業学校と改称。
1945年 - 戦災で校舎が焼失、1958年まで大阪市立金甌小学校(現在の大阪市立中央小学校)に設置された仮校舎に移転。
1948年 - 学制改革により、大阪市立天王寺商業高等学校となる。商業科、普通科、家庭科を設置。大阪市立御津商業高等学校(旧・大阪市立御津女子商業学校)との合併で男女共学化。
1953年 - 普通科、家庭科を廃止。商業科単科の高等学校となる。
1958年 - 現在地に校舎を再建、仮校舎から移転。
1990年 - 情報システム科を新設。
1997年 - 英語科を新設。
2010年 - 英語科の募集停止。
2012年 - 商業科・情報システム科の募集停止。
2014年 - 閉校。
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青木倫太郎 - 関西学院大学名誉教授(天王寺商業学校)
浅香あき恵 - 吉本新喜劇
大栗裕 - 作曲家(天王寺商業学校)
大谷晃一 - 作家、帝塚山学院大学元学長(天王寺商業学校)
桂文枝 (5代目) - 落語家(天王寺商業学校)
河内仙介 - 小説家(大阪甲種商業学校)
北野熊喜男 - 経済学者、神戸大学名誉教授(天王寺商業学校)
黒田ワ之助 - コクヨ名誉会長(天王寺商業学校中退)
斎藤末逸 - プロ野球選手(天王寺商業学校)
辰巳柳太郎 - 俳優(大阪甲種商業学校中退)
建部正義 - 経済学者
竹山健二 - 新日本監査法人理事長
田村駒治郎 - 実業家、松竹ロビンスオーナー(天王寺商業学校)
坪内道典 - プロ野球監督・選手(松山商業学校から転校、天王寺商業学校)
東光武三 - 外交官(天王寺商業学校)
鳥井信治郎 - サントリー創業者(大阪商業学校)
中島栄次郎 - 評論家(天王寺商業学校)
根津清太郎 - 商人
ピンアップ敦子 - 音楽ショウ(中退)
藤本安之 - サッカー選手
北条秀司 - 劇作家(大阪甲種商業学校)
吉岡ユリ - 女優
関係者
宇野正美 - 株式会社リバティ情報研究所所長。元同校社会科教師。
大栗裕 - 作曲家。元大阪フィルハーモニー管弦楽団ホルン奏者。元京都女子大学教授。天王寺商業学校吹奏楽部(天商バンド)出身。
交通
大阪環状線 桃谷駅 南西へ約500m。
参考文献
天商80年史編集委員会『天商80年史』大阪市立天王寺商業高等学校、1992年。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 同じ大阪商業講習所にルーツを持つ教育機関として大阪市立大学がある。
^ 1928年大阪商科大学に改編されたのち、学制改革で1949年大阪市立大学(商学部・経済学部)となる。
^ 大宝国民学校(現・大阪市立南小学校)に統合。
出典
関連項目
大阪府高等学校の廃校一覧
日本の商業に関する学科設置高等学校一覧
外部リンク
⇒大阪市立天王寺商業高等学校
天商同窓会 - ウェイバックマシン(2018年11月5日アーカイブ分)