大関
[Wikipedia|▼Menu]
長谷川の例以降は、大関の資質や目安が昇進の問題にされる事例はしばらくなく、このころは、「30勝以上」からのちの「33勝以上」へと目安が変化する過渡期であるといえる[注釈 8]

この時期に33勝に満たずに昇進を果たした例として、1980年(昭和55年)1月場所を終えた増位山(太)は直前3場所を8勝-11勝-12勝(次点)の計31勝であったが、この前場所から大関が貴ノ花1人だけという「異常事態」[11]であったことから、高砂審判部長(元横綱朝潮)は「今場所の十二勝の成績や大関が現在一人である点を考慮する」[12]と述べ、大関昇進が認められた。1981年(昭和56年)9月場所を終えた琴風は直前3場所を9勝-10勝-12勝(優勝)の計31勝であるが、この場所は大関不在という「珍番付」[13]であり、優勝を決めた14日目の時点で「待ったなしで大関」[14]とされた。1985年(昭和60年)7月場所を終えた大乃国は、直前3場所を9勝-10勝-12勝(次点)の合計31勝であったが、鏡山審判部長(元横綱柏戸)は「六場所連続で関脇を守ったことを評価したい」「対横綱、大関の通算成績が五分五分(三十七勝三十八敗)というのは大変なものだ。」[15]と述べ、内容が評価されて大関昇進を果たしている。

平成初期の特殊な例として、琴錦(現・朝日山親方)は1991年(平成3年)9月場所は前頭5枚目で13勝2敗で優勝、小結に戻った11月場所も終盤まで2敗で優勝を争い、二子山理事長(元横綱初代若乃花)は「二場所連続優勝なら、大関昇進を考える余地がある」[16]と発言した。当時は横綱の休場、引退が相次ぎ、世代交代の時期に入っていたことが背景にある。結果、琴錦は千秋楽に破れて12勝3敗、優勝を逃して昇進はできなかった。なお琴錦はその前の1991年(平成3年)1月場所を終え、直前3場所を9勝(小結)-10勝-11勝(2場所関脇)の計30勝とし、旧目安ならば満たしている。

1995年(平成7年)1月場所から1997年(平成9年)1月場所まで、魁皇(現・浅香山親方)は当時歴代最長となる関脇の地位を、13場所連続で保持していた。だが、最高でも3場所合計30勝に留まっており、大関昇進の機会を何度も逃していた。しかし、7度目の大関挑戦だった2000年7月場所において、三役で8勝-14勝(優勝)-11勝の合計33勝を挙げ、当場所後ついに魁皇は念願の新大関と成った[17]
平成中期以降?末期

平成中期以降においては、大関昇進の目安は「3場所連続で三役(関脇・小結)の地位にあって、その通算の勝ち星が33勝以上」で定着している。

2011年(平成23年)11月場所を終えた稀勢の里の直前3場所の成績は、10勝-12勝-10勝で合計32勝であったが、日本人力士が不調(大関以上は前場所昇進の琴奨菊のみ)、直前6場所を全て勝ち越し10勝以上が5場所という安定した成績、横綱・白鵬との幕内対戦が直近6場所で3勝3敗と互角の成績を挙げた事などが加味された[18]

また、2015年(平成27年)5月場所を終えた照ノ富士は、直前3場所が前頭2枚目で8勝(平幕)-13勝-12勝(優勝)の合計33勝だったが、直前場所での幕内初優勝を果たした事に加えて、前場所で13勝を挙げている事が大関に相応しいと判断され[19]、新大関となった[20][21]。なお大関昇進の3場所前が平幕の地位だったのは、1985年(昭和60年)11月場所後の北尾(のち横綱・双羽黒。前頭筆頭で12勝3敗)以来29年ぶりだが、3場所前が平幕で1桁勝ち星となると、1983年(昭和58年)3月場所後の朝潮(4代)(前頭筆頭で9勝6敗)以来の32年前までさかのぼる[注釈 9]
令和以降

令和時代以降も、大関昇進の目安は「3場所連続で三役(関脇・小結)の地位にあって、その通算の勝ち星が33勝以上」で定着している。しかし令和5年秋場所では佐渡ケ嶽審判部長は「33勝にこだわらず、内容をしっかり見る」との見解を示した[22]

2022年(令和4年)1月場所を終えた御嶽海は直前3場所を9勝-11勝-13勝(優勝)の計33勝で目安は満たすも、3場所前が9勝止まり、三役での連続二桁勝利もこれが初めてで、そもそも場所前に昇進ムードが無かった[23][注釈 10]が、大関陣の成績不振や直前での優勝が評価され昇進に向けた理事会の開催が決定され、大関昇進が決まった。
大関昇進直前3場所成績(平成時代以降)

関:関脇、小:小結、前:前頭

四股名は、それぞれ大関昇進時に名乗っていた当時のもの。

昇進場所四股名3場所前2場所前直前場所3場所合計
1990年(平成2年)5月場所霧島一博小・10勝5敗小・11勝4敗△関・13勝2敗○34勝11敗
1992年(平成4年)7月場所曙太郎☆小・13勝2敗△関・8勝7敗関・13勝2敗◎34勝11敗
1993年(平成5年)3月場所貴花田光司☆小・14勝1敗◎関・10勝5敗関・11勝4敗35勝10敗
1993年(平成5年)9月場所若ノ花勝☆小・14勝1敗◎関・10勝5敗関・13勝2敗◯37勝8敗
1994年(平成6年)3月場所貴ノ浪貞博関・10勝5敗関・12勝3敗関・13勝2敗△35勝10敗
武蔵丸光洋☆関・8勝7敗関・13勝2敗◯関・12勝3敗33勝12敗
1999年(平成11年)3月場所千代大海龍二※関・9勝6敗関・10勝5敗関・13勝2敗◎32勝13敗
1999年(平成11年)9月場所出島武春小・9勝6敗関・11勝4敗関・13勝2敗◎33勝12敗
2000年(平成12年)5月場所武双山正士小・10勝5敗関・13勝2敗◎関・12勝3敗△35勝10敗
2000年(平成12年)7月場所雅山哲士小・12勝3敗△関・11勝4敗関・11勝4敗34勝11敗
2000年(平成12年)9月場所魁皇博之小・8勝7敗小・14勝1敗◎関・11勝4敗33勝12敗
2002年(平成14年)1月場所栃東大裕関・10勝5敗関・12勝3敗△関・12勝3敗△34勝11敗
2002年(平成14年)9月場所朝青龍明徳☆関・11勝4敗関・11勝4敗△関・12勝3敗△34勝11敗
2006年(平成18年)1月場所琴欧州勝紀小・12勝3敗△関・13勝2敗◯関・11勝4敗△36勝9敗
2006年(平成18年)5月場所白鵬翔☆小・9勝6敗関・13勝2敗△関・13勝2敗◯35勝10敗


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:156 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef