大野藩
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「大野宰相」と呼ばれた)が入った[13][14][10]。織田秀雄は慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで西軍に与したため、戦後に改易された[15]
北荘藩領

関ヶ原の戦いののち、越前一国は結城秀康の支配下に入った[16]。秀康は重臣や腹心を領内の枢要の地に配置したが、大野には土屋昌春(正明[10][注釈 5]を入れて3万8000石を知行させた[17]。慶長12年(1607年)に秀康が死去すると、土屋昌春は殉死した[18]。徳川家康・秀忠は、重臣たちの殉死を禁じて年若い松平忠直(13歳)の補佐に当たらせる意向であったために[18]、土屋昌春の殉死は咎められ追罰を受けた[17]。慶長14年には小栗正高[注釈 6]が大野に入っている[17]。『当代記』によれば小栗を配置したことは家康の指示であるという[17]大坂の陣の際には重臣の加藤康寛木本領主5000石)が大野城に入り、留守中の一揆蜂起に備えている[19]

元和9年(1623年)、67万石の大名であった松平忠直は改易された[20][注釈 7]。一時は北ノ庄藩を世子の仙千代(のちの松平光長)に継がせる方針があったとされるが[注釈 8]、翌寛永元年(1624年)4月に仙千代は越後国高田藩に25万石で移され[21]、これと入れ替わりで越後高田藩主であった忠直の次弟松平忠昌が北ノ庄藩に移り、52万5280石が与えられた[21]。忠直の旧領[注釈 9]のうち大野郡は、忠直・忠昌の弟3人(直政・直基・直良)によって分割されることとなった。
越前松平家の時代

寛永元年(1624年)6月、松平直政に5万石(大野藩)、松平直基に3万石(越前勝山藩)、松平直良に2万5000石(木本藩)が与えられ、それぞれ大名に列した[21]

松平直政は結城秀康の三男で、元和2年(1616年)には兄の忠直から木本で1万石を与えられている[22]。その後、幕府から兄・忠昌の旧領であった上総国姉崎に領地を与えられて独立の大名(姉崎藩主)となっていた[22]寛永元年(1624年)、上述の事情で越前大野に5万石で移され、初代大野藩主となる[23]。直政は、寛永10年(1633年)4月に信濃松本藩へ移された[23]

大野藩領は一旦収公され、丸岡藩の預地となっていたが[23]、寛永12年(1635年)8月に越前勝山藩から松平直基(秀康の五男)が移された[23]。寛永21年(1644年)3月、直基は出羽山形藩へ移封され、代わって越前勝山藩より松平直良(秀康の六男)[注釈 10]が入った。延宝6年(1678年)に直良が死去すると、その子である直明が家督を継いだが、直明は天和2年(1682年)に播磨明石藩へ移封された。

松平直政・直基・直良が兄弟で藩主を受け継ぐ形になっているが、家督相続によるものではなく、上述の通り転封によるものである。直政に与えられた5万石の領地はほぼ受け継がれた[24]。松平家の時代の藩政について、詳しいことはわかっておらず[25][26]、30年余の長期にわたった直良の時代に支配機構の整備が進んだこと[26]、大野町南方の原野「堀切野」の新田開発免許が安川与三右衛門に出されたこと[26]、面谷村(現在の大野市面谷)で銅山(面谷銅山)の開発を行ったものの近隣の村で鉱毒被害が生じたことなどが知られる[26]
土井家の時代
土井家の入封

天和2年(1682年)、松平直明に代わり、元老中土井利房土井利勝の四男[27])が大野藩に4万石で移された[28][注釈 11][29][27]。7月16日[27]に大野に入った利房は、領内を巡察し[27]、定書を相次いで発して領内の掌握を図った[28]。利房は翌天和3年(1683年)閏5月25日に死去し、その治世は1年に満たなかったが、大野藩政の基本を定めた[27]

大野藩は生産力が低く年貢増徴策も限りがあり、見るべき産業もないとされる中で厳しい財政運営が迫られることとなった[28]。藩士の削減などが図られているが[28]、元禄12年(1699年)には年貢減免などを要求する一揆が発生した[28]土井利忠は大坂加番について、むしろ藩財政に有利であったと述べている[30]
7代藩主・土井利忠大野城跡の「土井利忠公像」

天保年間に入ると飢饉が藩内を襲い、藩財政は大いに逼迫した。このような中で第7代藩主・土井利忠は財政再建を主とした藩政改革に取り組んだ。天保13年(1842年)に始まった改革令を「更始の令」という[31]。生産性の向上・教育制度の普及・有能な人材の登用・藩借金の整理などを行なった結果、改革後8年にして利忠は借金を処理することに成功した。


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