アイドルグループ嵐の最年長メンバーで、リーダー、メインボーカル[3][4]を務める。
嵐結成前にCDデビューを果たし(#CDを参照)、CM曲の担当や、ソロシングルをリリースしている(#音楽を参照)。嵐のコンサートでは、曲の振り付けも手がける(#振り付けを手がけた曲を参照)。
ジャニーズ事務所入りを勧めたのは母親。大野は当時は芸能界にさほど興味はなかったものの、ジャニーズの仕事をするうちにダンスの楽しさに目覚めた[10]。
同期には、ジャニーズ事務所を退所後に俳優として活躍している町田慎吾がいる。Jr.時代、大野と町田は同じダンスユニット・Musical Academyの初代メンバーだった[10]。
中学生時代はバドミントン部に所属[57]。練習のサボりすぎにより二度退部させられているが、試合時に「大野がいないと勝てない」という理由から復帰している。
温厚な性格で、自身ではあまり怒らない理由として「イラッとしてもその時間がもったいないから引きずらない」と言っている[58]。また、涙もろいため、コンサートの挨拶などで感激の涙を流すことがある[59][60]。口数はあまり多い方ではないが、発言がユニークで、番組スタッフにも「もの凄い瞬発力があって、その場が一気に全部解決するようなひと言っていうのを言う[61]」「追い詰められたときにでる一言がとんでもなく面白い[62]」などと評されている。コンサートや歌番組のパフォーマンスでは、細かくリズムをきざむキレのあるダンスと情感豊かに響く歌声[63]を披露し、バラエティなどで見せる飾らない姿とのギャップに驚いたという声もよく聞かれる[64]。
釣りを趣味にしており、「カジキマグロを釣る」ことを目標にしていることを語っている[65]。『嵐にしやがれ』の番組企画内で、2018年に二級小型船舶免許[66]、2019年に一級小型船舶免許を取得[67]。また、同番組の企画「ヒロシとサトシのソロキャンプ」の影響でキャンプにはまり、その際共演したヒロシとは意気投合してプライベートでも一緒にキャンプに行く仲になった[68]。
デビュー当時、嵐にはリーダーが特に決められていなかったが、少年隊の冠番組『少年隊夢』内で東山紀之からの提案によりリーダーを決めることに。大野以外のメンバー全員が大野を指名したものの、本人は櫻井翔を推薦したため、ジャンケンになった。勝ちはしたが、勝者がリーダーだと言われ、結局大野がリーダーに就いた[69]。東山は「勝っても負けても大野をリーダーにする予定だった」と言っている。また、歌唱力には定評があり1/fゆらぎの歌声を持つと言われる[70]。 早くから卓越したダンス技術を誇り、櫻井翔・屋良朝幸を始め多くのジャニーズ事務所タレントが、Jr.時代に「大野の後ろで大野を見て踊れ」と評価されるほどである[71][72]。また、外国人ダンサーからスカウトされる程のダンススキルを持つ[3][4]。 少年隊のジャズダンスに憧れ、Jr.時代の1997年から約2年間、実家を離れ京都にて『ジャニーズ・ファンタジー KYO TO KYO』に出演。1日5回公演というハードスケジュールの中、踊りの技術を磨いた。東山紀之からは、忍耐強さ・歌と踊り・芸術性の才能を称賛されている[10][73]。 嵐の結成当初は、メンバーそれぞれが得意とする分野のリーダーを受け持っており、大野は「ダンスリーダー」を担当[74]。 大野のキレのあるダンスとそのセンスは振りつけでも発揮されている。2004年には、自身のソロ曲『TOP SECRET』を振り付けし、これを皮切りに自らのソロ曲のみならず嵐5人で歌唱する曲の振り付けも度々担当するようになる。「ARASHI LIVE TOUR Popcorn」でメイン振付師として活躍し、このツアーより全体演出としての振り付けを担当[75]。
ダンス・振り付け