大邱広域市
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青島 1993年

ミナスジェライス州 1994年

広島 1997年

サンクトペテルブルク 1997年

プロヴディフ 2002年

台北 2010年

寧波 2013年

ミラノ 2015年

成都 2015年

ミルウォーキー 2017年

ダナン 2018年

親善協力都市

揚州市 2003年

塩城市 2003年

瀋陽市 2003年

神戸市 2010年

ホーチミン市 2015年

紹興市 2015年

武漢市 2016年

バンコク 2017年

長沙 2018年

高雄 2018年

バクニン 2019年

リール 2019年

延辺 2021年

歴史日本統治時代の大邱大邱市場。1920年頃

大邱 達西区 月城洞にて旧石器時代の遺物である細石刃石器が含まれた遺跡の発掘により、おおよそ2万 - 1万年前から大邱に人が住んでいたことが推定される。大邱の昔の名前として、タボル(??、多伐)、タルボル(??、達伐)、タルブルソン(???、達弗城)、タルクボル(???、達句伐)、タルクファ(???、達句火)テグ(??、大丘)がある。そのうちタルクボル(???)とテグ(大丘)が有名である。これらは古代朝鮮の固有語の音写で、おおむね「大きい原野」などの意味となる。

757年新羅 景徳王16年)、喟火郡は寿昌郡へ、タルグファヒョン(????、達句火縣), 達句伐と呼ばれていたものは大丘県に改称された。

高麗時代は寿城郡と呼ばれ、1143年(高麗 仁宗21年)、大丘県は縣令官に昇格し、河濱縣、花園縣がこれに属した。

李氏朝鮮の時代より、大丘は慶尚道北部地域のうち行政上・経済上・文化上の中心都市へと変わっていった。

18世紀に大丘から現在の漢字の大邱に書き換えられている。これは「丘」が儒家の始祖、孔子であり、それに配慮し「邱」に置き換えたとされている(避諱)。長年にわたって慶尚道監営の中心地的位置を享受してきた大丘は、1895年(朝鮮 高宗32年)、慶尚監営が廃止されると共に大邱郡へと改編され、府庁所在地となった。

日本統治時代、1910年に大邱郡は大邱府(たいきゅうふ)に改められ[5]1914年に大邱府と達城郡は分離、独立後の1949年に大邱府は大邱市になっている。

敗戦後、大邱は海外帰還同胞の定着により人口が急激に増加し、大韓民国の大都市として成長した。1950年7月16日、朝鮮戦争により8月17日まで大韓民国の臨時首都となり、1981年7月1日、慶尚北道 大邱市が大邱直轄市へと昇格した。1988年1月1日、西区及び南区の一部をもって達西区が設置され、1995年1月1日、地方自治体が施行されると共に大邱広域市に改称された。また、1995年3月1日、達城郡全域を慶尚北道から編入し、現在の大邱広域市は883.56 km2に拡大された。

さらに、大邱は2002年FIFAワールドカップ本選、2003年夏季ユニバーシアードを開催した経験をもとに、2011年大邱世界陸上競技選手権大会、2012年第93回全国体育大会、2013年大邱世界エネルギー総会が開催された。以降、2015年第7回世界水フォーラムを開催した大邱市は、.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}水(みず)産業の中心地として位置づけられている。

1910年10月1日 - 大邱郡が大邱府に改称。

1911年11月14日 - 大邱府東上面・西上面が合併し、大邱面が発足。

1914年4月1日 - 大邱府を分割し、都市部である大邱面の大部分が新たな大邱府に昇格。大邱府の農村部と玄風郡を達城郡に改編。

1917年4月1日 - 達城郡寿城面の一部を編入。

1938年10月1日 - 達城郡寿城面および達西面・城北面のそれぞれ一部を編入。

1949年8月15日 - 大邱府が大邱市に改称。

1957年11月6日 - 達城郡東村面・月背面・城西面・嘉昌面・公山面を編入。

1963年1月1日 - 中区東区西区南区北区を設置。(5区)

一部を達城郡に返還。

公山出張所管轄区域の大部分 → 公山面。

嘉昌出張所管轄区域部分 → 嘉昌面。

城西出張所管轄区域 → 城西面。

月背出張所管轄区域 → 月背面。



1980年4月1日 - 東区の一部区域を分離し、寿城区を設置。(6区)

1981年7月1日 - 慶尚北道大邱市が大邱直轄市に昇格。慶尚北道から周辺区域を編入し、次の通りに市域を拡張。(6区)

達城郡のうち

月背邑が南区に編入。

城西邑が西区に編入。

公山面・慶山郡安心邑が東区に編入。


漆谷郡漆谷邑が北区に編入。

慶山郡孤山面が寿城区に編入。


1988年1月1日 - 西区・南区の各一部をもって達西区を設置。(7区)

1995年

1月1日 - 大邱直轄市が大邱広域市に改称。(7区)

3月1日 - 達城郡を慶尚北道から移管。(7区1郡)


2023年7月1日 - 軍威郡を慶尚北道から移管[6]。(7区2郡)

地理
地形

大邱は標高が高く規模の大きな山脈に囲まれている盆地である。北側には八公山(1,193m)の山脈が、南側には琵瑟山(1,084m)の高い山並みが連なっている。また、新川が南から北へと流れ、北側で琴湖江と合流する。大邱市街地は、新川を中心に両側に広がっている。大邱広域市



気候

全体的な降水量は少ない。最高記録気温は40.0℃(1942年8月1日)、最低記録気温は?20.2℃(1923年1月19日)にまで達したことがある。大邱は大韓民国で夏の平均気温が高い方である。1942年に大韓民国で観測以来最も高い最高気温である40.0℃を記録したが、2018年に41.0℃を記録した洪川郡によって更新された。

大邱広域市(大邱地方気象庁)の気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
最高気温記録 °C (°F)16.5
(61.7)24.4
(75.9)26.9
(80.4)32.0
(89.6)37.4
(99.3)38.0
(100.4)39.7
(103.5)40.0
(104)37.5
(99.5)31.8
(89.2)26.6
(79.9)20.8
(69.4)40.0
(104)
平均最高気温 °C (°F)5.9
(42.6)8.8
(47.8)14.2
(57.6)20.6
(69.1)25.7
(78.3)28.7
(83.7)30.8
(87.4)31.3
(88.3)27.0
(80.6)22.0
(71.6)14.9
(58.8)7.9
(46.2)19.8
(67.6)
日平均気温 °C (°F)1.1
(34)3.5
(38.3)8.4
(47.1)14.5
(58.1)19.7
(67.5)23.4
(74.1)26.3
(79.3)26.7
(80.1)22.1
(71.8)16.2
(61.2)9.4
(48.9)3.0
(37.4)14.5
(58.1)
平均最低気温 °C (°F)?2.9
(26.8)?1.1
(30)3.3
(37.9)8.8
(47.8)14.1
(57.4)18.8
(65.8)22.8
(73)23.1
(73.6)18.0
(64.4)11.4
(52.5)4.8
(40.6)?1.2
(29.8)10.0
(50)
最低気温記録 °C (°F)?20.2
(?4.4)?16.4
(2.5)?10.9
(12.4)?6.0
(21.2)1.8
(35.2)7.8
(46)11.3
(52.3)12.3
(54.1)6.2
(43.2)?2.0
(28.4)?8.6
(16.5)?15.2


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