大輪田泊
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^ 妻の弟平時忠検非違使別当として京都の制圧にあたった。
^百錬抄』および『玉葉』の嘉応2年(1170年)9月20日条にも法皇が福原に御幸して宋人と会う記事が載っている。この時代、外国人が天皇と接見することは宇多天皇寛平御遺誡で禁止された行為と認識されていた。このため『玉葉』の筆者九条兼実は「我が朝延喜以来未曽有の事なり。天魔の所為か」と批判している[6]。宇多の寛平御遺誡には「外蕃之人必可召見者。在?簾中見之。不可直對耳。李環朕已失之。(異国の者と会う時に直接会ってはならず、必ず御簾の中から見るようにしなさい。直接会話してはならない。李環と会ったことは朕の誤りであった)」とあり、厳密には外国人との面会そのものを禁じた文言ではない。ただし、平安時代後期以降には宇多の子である醍醐天皇が、高麗の占い師を宮中に入れて占わせたという話が広まっており、『古事談』ではこの際に醍醐天皇の声が小さいことを国情に合うと評されたという逸話とされている。こうしたこともあり、この時代には宇多の遺誡は宮中に外国人を入れること自体を禁じたものと認識されるようになっていた[7]
^ 答進物としては後白河院からは色革30枚を納めた蒔絵厨子1脚と砂金100両を納めた手箱1、清盛からは一振と武具を納めた手箱があった[6]。黄金100両は奥州の金であろうと考えられる[2]
^ 治承3年(1179年)には「銭の病」という奇病が流行している[2]
^ これまでの例では最初の社参は石清水八幡宮賀茂社春日大社あるいは日吉大社などであり、遠い厳島を選んだのは異例のことであった。竹内理三は、高倉上皇の社参を、清盛の心をやわらげ、後白河法皇を幽閉の状況から救わんとする願いから発したものと解釈している[10]
^ 厳島参詣は華やかなものであったが、これに対する延暦寺・園城寺・興福寺の反発は激しく、それを背景に同年4月、以仁王源頼政が反平氏の兵を挙げている[10][11]
^ かつては喜田貞吉による山陽道を正中線とする新京プランが提起されたが、足利健亮は喜田案には疑問ありとして、他の都城同様南北線を正中線とする和田新京プランを想定している[12]
^ 新都の地割にあたったのは藤原実定源通親藤原行隆らであった。
^ 高倉上皇は当初福原の平頼盛の邸宅に入ったが、のちに平重衡の邸に移った。後白河法皇は、平教盛の邸に居住した。摂政藤原基房は安楽寺の別当安能(あんのう)の房を宿所と定めた。

出典^ a b c d e f g h i j k l 武藤(1979)p.311
^ a b c d e 五味(1989)p.317
^ a b 竹内(1973)pp.258-259
^ a b c d e 竹内(1973)pp.408-410
^ 高橋(1993)
^ a b c d e 竹内(1973)pp.410-412
^ 藪本勝治「 ⇒平家物語の延喜帝像 : 「昔」の理想化と諸行無常」『国文学研究ノート』第41巻、神戸大学「研究ノート」の会、14-15頁、doi:10.24546/81012371、.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISSN 03858189。
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