大豆
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共生成立までの過程に於いて、Nodファクターと受容体による経路[9][10]III型分泌系による経路[11]の複数の経路があることが解明されている。
世界への伝播

大豆は20世紀初頭までは、東アジアに限られた主に食用の作物であった。20世紀に入り満鉄満州において「満州大豆」など大豆の品種改良や新種開発に乗り出してから、油糧作物および飼料作物として世界に生産が広まり、世紀後半には生産量が急拡大した。21世紀には、大豆と脱脂大豆を合わせた交易重量は長らく世界最大の交易作物である小麦と並ぶ量となった[12]
原産地

原産地は東アジアである。日本にも自生しているツルマメが原種と考えられている。

遺伝学的研究によれば、東アジアの複数の地域で野生ツルマメからの栽培化が進行し、日本も起源地のひとつである[13][1]。2010年代の考古学的研究では、アジアでも他の地域に先駆けてダイズの栽培化が進行した可能性が判明しており他の起源地は中国や朝鮮半島である[14]。縄文時代中期、紀元前4000年後半より日本列島での栽培が見られることが2015年の研究で判明し、この時期以降に野生種からの人為的な栽培に特徴的な種子の大型化がみられる[13]。2007年には、縄文時代後期中頃[15]。日本列島においては縄文時代においてアズキリョクトウなどの炭化種実が検出されているためマメ類の利用が行われていたことが判明していた。山梨県の酒呑場遺跡から出土した土器のダイズ圧痕は蛇体装飾の把手部分から検出されており、これは偶然混入したものではなく意図的に練りこまれた可能性が想定されており、その祭祀的意図をめぐっても注目されている。

中国や日本などでは(ひえ)・豆(大豆)が五穀として重用されている。
世界への伝播大豆、『成形図説』の挿絵(1804)

ヨーロッパに伝わったのは18世紀、アメリカには19世紀のことである。ヨーロッパにダイズの存在を伝えたのはエンゲルベルト・ケンペルだといわれており、彼が長崎から帰国した後、1712年に出版した『廻国奇観』において、ダイズ種子を?油の原料として紹介した。ヨーロッパでは1739年フランスでの試作、アメリカでは1804年ペンシルベニア州での試作が最初の栽培とされている。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}ベンジャミン・フランクリンの手紙の中に、1770年イギリスにダイズ種子を送る旨が記してある。[要出典]ヨーロッパでそれ以前にダイズの存在を知られていなかった理由として、既に他の豆類が栽培されていたことや、土壌が合わなかったこと、根粒菌が土壌にない場合があったことなどが挙げられている。このようにダイズの伝搬が遅れたため、英語名の「Soy」は醤油が語源と言われる。

ダイズが伝播後19世紀にかけては、アジア圏以外では重要な作物とはみなされておらず、緑肥や飼料作物としての生産に留まっていた。20世紀に入り搾油用の需要が拡大していった。ヘンリー・フォードは、油脂の採取、繊維・プラスチックの開発目的で大豆農園を経営していた。作物(油糧作物)として注目されるようになったのは1920年代以降であり、ヨーロッパで食料として初めて収穫されたのは1929年とされる。アメリカで本格的にダイズが栽培されるようになったのは、1915年にワタミハナゾウムシ(英語版)の侵入によってアメリカ南部綿花が大打撃を受け、それまでアメリカの製油業の中心であった綿実油が不足してからである。ワタに代わる新たな製油材料として、それまでも徐々に栽培を拡大させてきたダイズは一気に脚光を浴びることとなった。1920年代には製油用や飼料用としての需要の高まりにより、さらに大規模に栽培されるようになった[16]。第二次世界大戦後、アメリカは世界最大の大豆生産国となったが、1973年に大豆の輸出規制を実施。大豆の消費の多くをアメリカからの輸入品に頼っていた日本は、輸入国の多様化を図る必要性に迫られた。当時の田中角栄政権は、ブラジルで放棄されてきた内陸部のサバンナ地帯(セラード)に着目、大豆生産を働きかけたところ軌道に乗り、2010年代のブラジルはアメリカに匹敵する規模の大豆生産国となった[17]

タンパク質含有量の高いダイズ種子は用途が広く、様々な食品の製造に加工されている。そのタンパク質以外の成分である脂質からは食用油以外にもレシチンなどが抽出され、利用されている。
呼称

原産地である東アジアでは、大豆(中国・日本)、黄豆(広東語?語)と呼ばれている。その他の多くの地域では、東アジアにおける名称とは異なった Soy / Soya、もしくはそれに類似した呼称が使われている。この Soy の起源は日本語の醤油であると考えられている。その経緯は、17世紀にオランダが日本との通商をとおして醤油を soya としてヨーロッパへ紹介したことに遡る[18]

英国においても、17世紀の文献に醤油を Saio[注 1]、Soy とした記述が見られる。その後20世紀に入るまで Soy とは醤油を意味する単語であった。20世紀に入り、東アジア以外の国で大豆が主に油糧作物・飼料作物として栽培・利用されるようになり、醤油の原料であることから英語では soybean または soya bean、他の国でも同様に呼ばれるようになった[19]

属名 Glycine はリンネウスによる命名である。本属の命名時、リンネウスはこの属内の種の一つが甘い根を持つことに気付いた。


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