大谷駅_(滋賀県)
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2019年(平成31年): @media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}磁気券用自動改札機撤去[要出典]。

鉄道省

大谷駅
東海道線ホームと逢坂山隧道(1912年以前)
おおたに[20]
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大津 (3.1 km) (8.5 km) 山科

所在地滋賀県大津市大谷町北緯34度59分42.29秒 東経135度51分9.58秒 / 北緯34.9950806度 東経135.8526611度 / 34.9950806; 135.8526611
所属事業者鉄道省
所属路線東海道本線(旧線)
キロ程505.0 km(東京起点)
大津から3.1 km
駅構造地上駅
ホーム2面2線
開業年月日1879年明治12年)8月18日
廃止年月日1921年大正10年)8月1日[8]
備考東海道線の付け替えに伴い廃止
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新逢坂山トンネル開業前の旧東海道本線に存在した。

京都 - 大津(この大津駅は現在のびわ湖浜大津駅に近接した位置にあった)間の鉄道全通に先駆け、京都 - 当駅間(81081節≒13.09 km)が延伸開業した際に設けられた。この際のルート選定では、当時東山逢坂山を横断するトンネルの開削技術がまだなく、また東山を直接越えると急勾配が発生してしまう(後にこのルートで開業した京阪京津線には、碓氷峠とほぼ同じ66.7パーミルの勾配が生まれた)ことから、京都から現在の奈良線のルートで稲荷駅まで南下した後、東へ稲荷山の山すそを迂回するものが採用された[21]

駅は逢坂山隧道のすぐ西側、蝉丸神社の近くに設けられ、相対式ホーム2面2線となっており、中線が1本存在した。上下線間の連絡は、1892年(明治25年)4月以降は跨線人道橋によって行っていた[22]

明治はじめ、京都駅 - 大津駅(のちのびわ湖浜大津駅)間鉄道開業前年の1879年(明治12年)8月の京都駅 - 当駅間開業時に開設、1921年(大正10年)8月に廃止された。

駅跡は逢坂山トンネル坑口とともにしばらく残っていて、京阪京津線の電車内から見ることができたが、現在は名神高速道路の盛り土に埋まっている。なお、太平洋戦争中は旧トンネル内で航空機部品工場として使用された逸話がある。

東側の旧トンネル入り口は現在も残っているが、そのトンネル内で京都大学防災研究所附属地震予知研究センターが地震観測所として使用(地震計を設置して観測)[23]しているため、入り口は固く閉ざされている。なお、旧トンネル入り口付近には「鉄道記念物 旧逢坂山ずい道東口跡地」という標柱と解説を記した案内板がある。
駅構造
京阪電気鉄道


配線図
凡例

追分駅









上栄町駅

相対式ホーム2面2線[24]を有する地上駅であり、無人駅となっている[3]。改札口は大津方面行きホーム京都方にあり、反対側の京都方面行きホームへは構内踏切で連絡している。

当停留場は40パーミルの勾配上にあり[4][7][6][25]、日本の普通鉄道・軌道では最大の急傾斜である[7][6]。当駅のホームに設置されているベンチは、この勾配を考慮して脚の長さが左右で異なっている[4][25][26]。「軌道建設規程」(大正12年12月29日内務省・鉄道省令)により軌道の停留場の勾配は10パーミル以下にしなければならないと定められているが[27]、当駅は内務大臣(当時)の特別の許可を受けている[6]。また、この勾配は車両を4両化する際にホームを延長する場所がなかったため特例で認められている[27]。なお、2021年ロサンゼルス・エンゼルス所属(当時)の大谷翔平MVPを受賞した際、京阪の公式Twitterでは当駅のベンチの画像を掲載して(右肩上がりの意味が込められている)大谷のMVP受賞を祝福している[28]
のりば

ホーム路線方向行先備考
改札口側▲京津線上り
びわ湖浜大津方面[29] 
反対側下り三条京阪太秦天神川方面[29]御陵駅より地下鉄東西線へ直通


ホーム有効長は4両[27]。のりば番号は設定されていない。


全景(2017年10月)

改札口(2006年9月)

ホーム(2006年9月)

勾配のため脚の長さが異なるベンチ(2023年3月)

利用状況

以下は、京阪電気鉄道開業百周年記念誌『京阪百年のあゆみ』資料編「駅別乗降人員の推移」による(2007年は調査中止によりデータなし)[30]2019年以降はバリアフリー新法に基づく各年の「移動等円滑化取組報告書(軌道停留場)」の「一日当たりの利用者数」による[31]

1日平均乗降人員:356人(2009年11月10日)

1980年代のピーク時は1,100人を超え、1990年代半ばまでは800人前後の乗降客数だったが、2002年には500人を割り込み、以降は400人前後で推移している。また、京阪電鉄の全駅で最も利用者数が少ない。

1日平均乗降人員は以下の通り。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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