また、小型車では1960年(昭和35年)4月に発売された新三菱重工業の「三菱500」、1961年(昭和36年)4月のトヨタの「パブリカ」が発売された。三菱500はパブリシティにおいても「国民車」を銘打っており、車体に「三菱500国民車」と書かれた発表時の写真が残されている[1]。
結果的に、「国民車構想」に沿って開発・発売された「大衆車」に対して通産省が補助を行うことはなかったが、それまで自動車とは縁がなかった一般大衆に自動車を身近なものとして定着させ、欧米の自動車先進国に対して著しく立ち遅れていた日本の自動車産業に画期的な技術革新を促したという意味では、この構想は非常に大きな貢献があったとされる。一方、日本での自家用車の普及は、政府の方針にとらわれることなく開発されたスバル360の功績であり、国民車構想の影響はほとんどないとする意見もある。 初期の乗用車は上記要件を満たすため、その多くが小型のエンジンを搭載し、そのエンジンで駆動できるよう軽量化のために、やや小型のものが多い。またこの他にも国によって異なるニーズにより、一定の違いも見られる。特にこれらの多くが第二次世界大戦以降に開発されたのは、軍需産業の民生品への転換と、経済復興による大衆の購買力向上に関係する。 なお生産国の経済成長が大衆の所得を押し上げ、一般の労働者が持つ購買力が一定以上に達したため、これら一般大衆車の多くは「自動車の普及」という役割を終え、装備の充実した次の世代の大衆車に市場を譲ることとなった。 日本でモータリゼーションが進み始めたのは第二次世界大戦後の1950年代末のことである。厳しい自然環境ゆえの耐久性や、起伏に富んだ国土ゆえの登坂性能が重要視される一方、国土が狭く道路の最高速度が100 km/hにとどまっていたため、高速長距離巡航の性能はさほど重要視されなかった。特に年間の寒暖差が50 ℃から70 ℃ほどにもなる[注 4]ため、真夏における高負荷でもオーバーヒートしにくく、かつ冬場の冷間時でも難なく始動できるエンジンが求められた。また、1960年代までは未舗装路が多かったことから、丈夫な足回りも求められた。さらには欧州と同じく狭い道が多いことから小柄なボディや、ガソリン価格の高さのために低中速域での燃費性能も重視される。 かつて大衆車の主流であったセダンの市場は、2000年代以降は社用車および教習車等の業務用途を除いて衰退の一途をたどっており、2020年代現在では長引く不況もあってダウンサイジングが著しく、大衆車はもっぱら軽自動車が主流となっている。ファミリーカーとしては実用本位のミニバンやトールワゴンも人気がある。
大衆車の例
日本
スバル・360(1958年)
スバル・360商業的に初めて成功した軽乗用車で、日本製大衆車の元祖とされる。コンパクトな車体で大人4人乗りに必要十分な車内スペースを確保し、さらに乗り心地を良好な物にするため4輪独立懸架を用いたことが特徴として挙げられる。富士重工業(現・SUBARU)の軽乗用車はその後もR-2、レックス、ヴィヴィオ、プレオ、ステラと受け継がれるが、2011年4月の初代ステラの生産終了をもって軽乗用車の自社製造から撤退し、他社からのOEMのみとなった。
トヨタ・カローラ (1966年)
初代カローラ
2ドアセダン1100デラックス(KE10D型)大衆向けでも家族3人以上で出かけることの多いニーズに向け、実用性と経済性に優れ、乗り降りしやすい3ボックススタイルのノッチバックセダン型の小型乗用車として開発された。のちにクーペ、ステーションワゴン、ライトバン、ハッチバックなどの派生モデルも多数追加され、幅広いニーズに応えた。1974年には車名別世界生産台数1位、1997年には累計販売台数でフォルクスワーゲン・タイプ1(ビートル)を抜いてギネス世界記録を樹立[2]し、2024年現在で通算12世代を数えるロングセラーモデルとなっている。
日産・サニー(1966年)
初代サニー
2ドアセダン1000デラックス(B10型)上記のカローラと同時期に登場し、のちにクーペ、ステーションワゴン、ライトバン、ピックアップトラックなどの派生モデルを加え、カローラとともに日本における大衆車として長らく双璧をなす存在であった。しかし、1990年代からはユーザーの高齢化などで段階的にラインナップを縮小していき、2004年9月をもって日本国内におけるサニーはブランド廃止となった。日産の主力乗用車の座は、日本国内市場ではノートがその座を受け継いでいるほか、日本国外の一部市場では引き継ぎサニーの車名が継続使用されている[注 5]。
スズキ・アルト(1979年)
初代アルト(SS30V型)パーソナルユーザーに特化した「軽ボンネットバンブーム」の草分け的な車種である。税金や任意保険料が安いという商用車の利点と、車検は2年ごとという軽自動車の利点をフルに生かして顧客を開拓した。