大藪春彦
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高松地方裁判所の審理の末、懲役1年執行猶予3年の有罪判決を受け[7]、翌年より3年間、猟銃免許を取り消される[8]

免停期間中は、友人の田中健二郎らを率いて、レーシングチーム「チーム・マグナム」を結成するほか、モータースポーツ飛行機ヨットの操縦に熱中する。創作でも、1966年からオートバイレースを題材とする『汚れた英雄』の連載を開始する。

1968年東京都府中市にて三億円事件が発生。当時『ボーイズライフ』(小学館)に連載していた『血まみれの野獣』と事件現場や犯行の手口に類似点があったことから、事件発生当日よりマスコミからの問い合わせが相次いだ[9]

1971年 、「チームマグナム」が自動車レース第7回日本グランプリで総合六位となる[6]

1973年10月、角川文庫より大藪作品の刊行開始。第一弾作品は『復讐の弾道』で、講談社、新潮社、桃源社、双葉社、光文社、徳間書店などの刊行作品を含む、作者の生前最も大規模なカタログであった。装幀は辰巳四郎が一手に引き受けた。

1979年角川映画『蘇える金狼』が松田優作主演で公開。1980年、角川映画『野獣死すべし』が松田優作主演で公開。1982年、角川映画『汚れた英雄』が草刈正雄主演で公開。1994年日本冒険作家クラブの「功労賞」受賞[6]
没後

1996年2月26日 、誕生日の4日後に東京都世田谷区の自宅で肺炎のため急逝。61歳没。執筆中だった長編『暴力租界』が未完のまま絶筆となる[注 3]

1997年、その年の優秀なミステリーハードボイルド冒険小説に授与される大藪春彦賞が創設される。
人物

非情な作風とは裏腹に、家庭では家族想いの温和な人物であった。妻の龍子は「週刊スリラー」の編集者として、大藪の『ウィンチェスターM70』を担当していた時、食事を摂らずに執筆する姿を見て、朝食を差し入れる等するうちに結婚することとなった[注 4]。結婚後は2児をもうけた。
交友関係

三島由紀夫は大藪作品の熱心な読者だったが、ごく親しい友人しかそのことを知らなかった。大藪も三島の大ファンであり、両者は1968年(三島事件の2年前)に対談している(『週刊プレイボーイ』“武器の快楽”)。

太宰治の作品、とくに戦中の作品を高く評価していた。上記の三島との対談では、大藪が太宰の作品を(太宰と不仲であったとされる)三島に熱心にすすめ、三島が仏頂面になる一幕もあった。

横溝正史の主要な長編は全部読んでいた[10]大下英治との対談では、なかでも『獄門島』が好きであり、自分でも瀬戸内海を舞台とした作品を書いてみたい、と語っている[11]。同インタビューでは横溝以外に高木彬光山田風太郎土屋隆夫などが好きとも語っている。大藪は後に横溝正史賞の選考委員も務めている(第1回 - 第5回)。

自身の小説の挿絵画家としては大塚清六がお気に入りだった。大塚とは1958年の『血の罠』から1973年の『黒豹の鎮魂歌』[注 5] まで、雑誌連載や単行本などで断続的にコンビを組んだ。

劇画家の佐藤まさあきとは同じ拳銃マニアとして親交があった。佐藤の為に劇画『夜の復讐者 弔いは誰のために』の原作を書き下ろしたが、版元の河出書房が倒産したため2話で打ち切りとなった。

文壇とは距離を置いていたが、生島治郎[注 6]森村誠一片岡義男など同世代の作家たちと交友関係があった。のちの世代では、平井和正馳星周花村萬月島田荘司夢枕獏船戸与一、評論家の野崎六助関口苑生茶木則雄新保博久などがファンとして知られる。

筒井康隆の短編「優越感」(「三丁目が戦争です」を戸建て住民側視点で描いたもの。作品としてはこちらが先)に“不法所持のワルサーを持ち出して参戦するハードボイルド作家”として登場する。

趣味

愛車は、
ダットサンブルーバード1200から、フェアレディスカイラインGT-B、スカイラインGT-R、BMWなどを乗り継いだ。

1973年(昭和48年)オーストラリアダーウィンで、ワイルド・バッファロー43頭を射殺し、「ハリー・ザ・キラー」の異名をとった。[12]

作風

典型的なアンチヒーローを主人公に据えた、壮絶なバイオレンス・アクションを描いた作品が多く、政財界と癒着した組織により、すべてを失った者たちによる「復讐」をテーマとする作品もある。

テーマを具現化する主人公で、作者自身も思い入れの深い人物として、伊達邦彦や朝倉哲也(『蘇える金狼』)、北野晶夫(『汚れた英雄』)などがいる。

彼らは屈強な体力と旺盛な食欲・性欲にあふれ、強烈なストイシズムと反権力志向を持ち、超人思想や能動的ニヒリズム個人主義的アナーキズムに通ずる反国家・反組織反体制の思想を行動原理とする。なお、大藪は「自分で体験したことしか書けない」として、主人公の来歴や境遇は自身の体験に基づくものが多い。

作品に暴力の描写が多いのは、大学生時代に愛読したアメリカのハードボイルド小説の影響による。大藪は人間の心理描写を得意としたレイモンド・チャンドラーロス・マクドナルドよりも、バイオレンス・アクションを描いたダシール・ハメットミッキー・スピレインなどの作品を好んだ。

また、作品の随所には、しばしば銃器や車輌、刀剣についての解説が挿入されている。ナイフメーカーのガーバーロバート・ウォルドーフ・ラブレスなども、大藪が作品で取り上げたことにより、日本での知名度が高まった。
著作リスト
シリーズ作品「野獣死すべし」挿絵
宝石」1958年7月号
伊達邦彦シリーズ

野獣死すべし(中編)大日本雄弁会講談社、1958年 

野獣死すべし 復讐篇 新潮社、1960年 

野獣死すべし 渡米篇(短編)荒地出版社、1960年

血の来訪者 新潮社、1961年 

諜報局破壊班員 徳間書店、1965年  

日銀ダイヤ作戦 光文社、1970年

不屈の野獣(短編集)秋田書店、1971年

マンハッタン核作戦 光文社、1976年

優雅なる野獣(短編集)角川書店、1979年


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