住宅地の地価は、2024年(令和6年)1月1日の公示地価によれば、大蔵5-18-12の地点で35万9,000円m2となっている[6]。 『江戸名所図会』は延暦期に武蔵国守兼大蔵卿の石川豊人が居住していたことを由来とする。1240年(仁治元年)安達景盛の次男兼周が石井郷を拝領して石井氏を名乗り、現在に至るまで旧家として残る。永享の乱で鎌倉を逃げ延びた二階堂盛秀の子秀高(清仙上人)が1490年(延徳2年)、鎌倉大蔵ヶ谷にあった永安寺を同じ地名のここ大蔵に再建した。16世紀には吉良頼康の所領で、1557年(弘治3年)大平氏に給付された。1633年(寛永10年)彦根藩領となる。江戸時代後期には国学者石井至穀
歴史
1889年(明治22年)砧村の大字となる。1936年(昭和11年)に世田谷区が成立した際、大蔵町となる。1971年(昭和46年)に住居表示が実施され、現在に至る。
当地にまつわる作物に大蔵大根がある。江戸時代、豊多摩郡で源内という農家が栽培していたという源内つまり大根を1953年(昭和28年)に石井泰次郎が品種改良したもので、間もなく区内各地で栽培されるようになった。1974年(昭和49年)頃青首大根に取って代わられ、一旦は姿を消したが、1997年(平成9年)に復興された。 2024年(令和6年)4月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。 町名世帯数人口 区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[7]。 町名街区小学校中学校 世田谷通り経由 多摩堤通り経由
世帯数と人口
大蔵一丁目968世帯2,077人
大蔵二丁目799世帯1,500人
大蔵三丁目642世帯1,014人
大蔵四丁目65世帯146人
大蔵五丁目756世帯1,742人
大蔵六丁目407世帯984人
計3,637世帯7,463人
小・中学校の学区
大蔵一丁目1?5番世田谷区立用賀小学校世田谷区立用賀中学校
その他世田谷区立砧小学校世田谷区立砧南中学校
大蔵二丁目全域
大蔵三丁目全域
大蔵四丁目全域
大蔵五丁目全域
大蔵六丁目全域世田谷区立砧南小学校
交通
道路
東名高速道路
東京外環自動車道(建設中)
東京外環トンネル
東京都道311号環状八号線
東京都道・神奈川県道3号世田谷町田線(世田谷通り)
東京都道428号高円寺砧浄水場線(荒玉道路)
東京都道11号大田調布線(多摩堤通り)
路線バス
渋24 渋谷駅 - 三軒茶屋 - 上町 - 松ヶ丘交番前 - NHK技術研究所 - 大蔵二丁目(下りのみ) - 成育医療研究センター前 - 日大商学部前 - 成城学園前駅西口
等12 等々力操車所 - 用賀駅 - NHK技術研究所 - 大蔵二丁目(下りのみ) - 成育医療研究センター前 - 日大商学部前 - 成城学園前駅
玉31 二子玉川駅 - 吉沢 - 区立総合運動場 - 大蔵第二運動場 - 星美学園 - NHK技術研究所 - 大蔵二丁目(下りのみ) - 成育医療研究センター前 - 成城学園前駅
玉07 二子玉川駅 - 吉沢 - 永安寺前 - 砧中学校下 - 成城学園前駅西口
玉08 二子玉川駅 - 吉沢 - 永安寺前 - 砧中学校下 - 喜多見駅入口 - 狛江駅北口 - 調布駅南口
施設
東京都中央卸売市場世田谷市場
世田谷清掃工場
国立成育医療研究センター
日本大学商学部大学院・創設90周年記念館
目黒星美学園中学校・高等学校
日蓮宗妙法寺(おおくら大仏)
天台宗永安寺
大蔵氷川神社
扶助者聖母会世田谷修道院
世田谷総合運動場(大蔵運動公園)
世田谷区立大蔵第二運動公園(旧:ウェルサンピア東京)
東京都住宅供給公社大蔵住宅 - 1958年(昭和33年)から1962年(昭和37年)にかけて建てられた団地。面積約11ha・30棟・1264戸。2022年(令和4年)現在「カーメスト大蔵の杜」に建て替え工事中[8][9]。
かつてあった施設
東宝ビルト(旧東京美術センター) - 2008年(平成20年)5月閉鎖
国立大蔵病院 - 2002年(平成14年)3月に国立小児病院と統合し、国立成育医療研究センター開設に伴い閉鎖
関連作品
近隣に東宝スタジオがあることから、1954年(昭和29年)の映画『七人の侍』の撮影時にオープンセットの一つが仙川の左岸に作られた[10]。
大蔵住宅は、横溝正史の1974年(昭和49年)の推理小説『白と黒』の舞台のモデルとされる[11]。
ギャラリー
おおくら大仏
大蔵氷川神社
野川沿いの携帯電話通信塔
関連項目
大蔵 (曖昧さ回避)
柳家喬太郎
脚注[脚注の使い方]^ a b c d “世田谷区の町丁別人口と世帯数