大臣家
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准大臣以上に昇進したのは中院家(通方から通富まで25代)で10人[注 3]、正親町三条家(公氏から公勝まで29代)で8人[注 4]、三条西家(公時から公允まで17代)で6人[注 5]と、大臣輩出率は高いとは言えない[3]

維新後は叙爵内規の「大納言迄宣任ノ例多キ旧堂上」を基準に伯爵となったが、嵯峨家(正親町三条家)はのちに侯爵に陞爵(しょうしゃく)した。
大臣家一覧

大臣家に属する家は以下の3家で、いずれも旧家である。
藤原北家閑院流(2家)

正親町三条家(嵯峨家):藤原北家閑院流三条庶流
三条実房の子公氏が祖。維新後、嵯峨家に改号。旧家家業有職故実

三条西家藤原北家閑院流正親町三条庶流。
正親町三条実継の子公時が祖。旧家。家業は香道和歌、有職故実。

村上源氏(1家)

中院家村上源氏久我庶流。
久我通親の子通方が祖。旧家。家業は有職故実

脚注[脚注の使い方]
注釈^ 旧・七清華の当主は室町時代初期まで参議任官例があり、元和5年(1619年)に西園寺実晴花山院定好が任ぜられたのが最後となっている。
^ 後奈良天皇以降の300年余りで大臣家から蔵人頭に任じられたのは正親町三条実有中院通知の2名のみで、他は蔵人頭を経ずに参議以上に昇進している。
^ 18代通躬が右大臣、2代通成、4代通重、5代通顕、10代通秀、13代通為、15代通村、17代通茂が内大臣、3代通頼、9代通淳が准大臣
^ 5代公秀、6代実継、7代公豊、10代実雅、12代実望、13代公兄が内大臣、9代公雅・内大臣、15代公仲に贈・准大臣
^ 5代公条、8代実条が右大臣、3代公保、4代実隆、6代実枝、7代公国が内大臣

出典^ 坂田桂一「中世前期における清華の家格とその昇進」(同志社大学文化学会『文化学年報』61、2012年平成24年))
^ 林大樹「近世蔵人頭に関する基礎的考察」(國學院大学国史学会『国史学』217、2015年(平成27年))
^ 浅見雅男 『華族誕生 名誉と体面の明治』中公文庫 ISBN 978-4122035423、90 - 91p

関連項目

堂上家










堂上家
摂関家

近衛家

鷹司家

九条家

二条家

一条家

清華家

花山院家

大炊御門家

三条家(転法輪家)

西園寺家

菊亭家(今出川家)

徳大寺家

醍醐家

久我家

広幡家

大臣家

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