大統領制
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この制度の場合、大統領は儀礼的な役割しか持たない、或いは権限が極めて弱い[5]ドイツインドポーランドイスラエルなどの国がこの制度に該当する。
議会から大統領を選出する制度

実質的な権限を持つ大統領が、議会から選出される政治体制も存在する。

アンゴラでは2010年に施行された新憲法の規定により、議会選挙で最多得票を獲得した政党の名簿で第一位にある者が自動的に大統領となる政治制度が導入された[40]。特に在アンゴラ日本大使館は、この制度を議院大統領制と称している[41]

ミャンマーも大統領が議会(上下両院)から選出され、議会の信任に服する統治体制を採っており、議院内閣制と大統領制の中間的形態ともいえる[42]

南アフリカ共和国では選挙後最初の国民議会下院に相当)において議員の中から大統領が選出されるため、これもまた議院内閣制と大統領制の中間的性質を有する政体であるとされる[43]
歴史
アメリカ合衆国

大統領制はアメリカ合衆国憲法によって具現化された。それはフランス思想家であるシャルル・ド・モンテスキューの「権力分立論」に強い影響を受けている[44][45]。モンテスキューは1729年から1年半にわたってイギリスに滞在し、『法の精神』第11編第6章「イギリスの国制について」を叙述し権力分立について論じている[44]

イギリスでは1688年名誉革命以降、君主の権力を制限するため議会と君主が立法権を共有する憲法習律が形成され(制限君主制)、君主と議会は相互に独立性をもって対峙し厳格に権力を分立した。制限君主制においては国王に任命される大臣は内閣を形成し、国王と議会の中間にたって国王と議会の仲介役を果たした(議会における君主主権)[46]

イギリスの国王国家元首であると同時に国軍の最高司令官(名目上)でもあり、議会で成立した法律に対しては拒否権を有していた。これらの制度は制限君主を大統領に置き換える形でアメリカ合衆国憲法に導入された。アメリカ合衆国の大統領議会からの独立性を強め、厳格な三権分立制を形成していった。

ただし、モンテスキューの考察は当時慣行が確立されつつあった議院内閣制はその視野に入っておらず、イギリス国王の庶民院(下院)の解散権や国王が議会多数派から大臣を任命するようになった点については明確に語っていないなど、当時のイギリスの国制を忠実に叙述したとはいえず、実際には存在しないイギリスの政治制度を理想化して描かれたものではないかとの指摘がある[44][45]

また、ロバート・ダールによればアメリカ合衆国憲法制定当時、イギリスの政治では首相議会からの信任を必要とするなど政治体制に重大な変化がおこりつつあったが、これが全面的に表面化するのは1832年であったために憲法の立案者がこのような変化を知ることはできなかったと指摘している[47]

アメリカの統治機構は権力の機能的拡散(三権分立)と権力の地域的拡散(連邦制)を特徴とする[48]。アメリカ合衆国憲法の制定当時、保守的な指導者らは議会多数派が行政府を支配して大きな権力をふるうことを危惧し、大統領選挙においても直接投票とすることを不安視して各州の大統領選挙人による投票という形が採られるようになったといわれる[49]。議会が強く大統領の地位が相対的に弱いという関係は、南北戦争のあったエイブラハム・リンカーンの政権下などを除き、19世紀末まで続くこととなったとされる[49]

しかし、20世紀に入って産業革命からなる資本主義の発達とともに経済社会問題への対応が必要になり大統領の権限は拡大していくこととなった[50]。アメリカではニューディール政策の時期から1960年代にかけて大統領の役割は拡大し、その後1980年代までは議会の復権期、1990年代以降は大統領と議会との協調期にあると分析されている[51]

大統領が国の政治に主導的役割を果たす政治制度はフランクリン・ルーズベルトの政権下で確立された[50]。1929年以来アメリカでは大不況に陥っていたが(世界恐慌)、フランクリン・ルーズベルトは大統領に就任すると重要法案をホワイトハウスで立案し議会に働きかけて早期に可決実行に移された[50]

その後も大統領の権限拡大は進み、ベトナム戦争の頃になると「帝王的」との世論の批判を受けるようになった[52]リチャード・ニクソン政権下では、連邦政府の制約なしで予算面において州政府に直接に交付金を給付できる制度が創設され、さらに国庫支出につき限度額以上のものに対して拒否権を行使できる制度の創設が画策された[53]

しかし、1970年代半ばウォーターゲート事件が起きると下院司法委員会が大統領弾劾手続を行うなど、議会はその地位を回復することとなった[53]。その反面、リチャード・ニクソンの後継の大統領・ジェラルド・R・フォードは対議会関係に苦慮したとされる[53]。なお、1968年以降、特に分割政府の出現する期間が長くなっている[30]

大統領の対議会関係が良好になるか否かは、大統領が国内政治を強力に遂行していくことが可能か不可能かという点で極めて重要とされる。

ジョン・F・ケネディは議会の抵抗にあって重要法案が通過しないなど国内政策の点においては大きな成果を残すことができなかったが[54]リンドン・ジョンソンは議会対策に熟練していたため社会福祉法を成立させることができたとの分析がある[54]。また、ジミー・カーターもエネルギー法案について議会承認に1年以上もかかり大幅に修正され、パナマ運河法案でも上院承認に1年以上を要してしまうなど対議会関係が良好でない事態が生じたが、その原因として大統領就任前に議会やワシントンD.C.との関係が皆無であった点が指摘されている[53]

1995年から1996年にかけビル・クリントン政権は財政均衡化を巡り議会と鋭く対立し、その際には予算が成立せず政府機能の一時停止という事態になった[12]政府閉鎖も参照)。
フランス「フランスの政治」も参照

有権者団の代表としての大統領および議会の観点からは普通選挙制の導入はフランスが最初であり、制度としてはフランス革命によって君主制が廃止された1792年、大統領選としてはフランス第二共和政期の1848年に実施している。


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