大秦景教流行中国碑
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すなわち碑文を撰した景浄はペルシャ人であり、また般若三蔵と交流があった[3]804年末に長安に入った日本僧の空海サンスクリット語を学んだのがこの般若三蔵であり、また空海の長安での住居西明寺や般若三蔵の醴泉寺は大秦寺に近いことから、空海が景教に触れた可能性は高い。なお、この『貞元録』は800年徳宗へ上進されたほぼ同時代の証言であり、信用できる。空海の師・恵果を大秦景教流行中国碑に登場する「佶和」と同一人物とする説もあるが、この説は疑問視されている[4]
議論

石碑が本物だと考えるベイラー大学のダニエル・H・ウィリアムズ(Daniel H. Williams)教授によると、石碑は、一般的に考えられているよりもずっと以前から、中国にキリスト教が伝来していたことを示す証拠である。これは中国のキリスト教は「外国の」宗教とする考え方と真っ向から対立し、明らかに政治的な意味合いをもつと同教授は語る[5]
模造碑

日本には、大秦景教流行中国碑の模造碑が高野山奥之院と京都大学総合博物館、日本景教研究会本部(愛知県春日井市)[6]の3か所にある。
脚注[脚注の使い方]^ Semedo; The History of China. p. 157。
^ 『大正新脩大蔵経』大秦景教流行中國碑頌
^ イー・エー・ゴードン、高楠順次郎らの説。『弘法大師と景教との関係』丙午出版社、明治42年
^ 山口鹿三の『弘法大師と公教 : 聖フランシスコ・ザベリオ以前に於けるキリスト教と我が日本との接触』(1939)によると、ゴードンは景教宣教師でペルシャ人の佶和と恵果を同一人物としたが、高楠は「恵果は中国出身者だする史料と矛盾する」としてこの説を退けているという。
^ Winter, Bitter (2018年6月21日). “ダニエル・H・ウィリアムズ教授:中国におけるキリスト教の起源は、かなり昔に遡る - インタビュー”. Bitter Winter (日本語). 2018年12月27日閲覧。
^ “ ⇒大秦景教流行中国碑の模刻碑除幕式、盛大に行われる 愛知”. クリスチャントゥデイ (2014年11月10日). 2016年1月20日閲覧。

参考

『大秦景教流行中国碑に就いて』:旧字旧仮名 - 青空文庫桑原隲藏

関連項目

佐伯好郎 - 景教碑文の世界的研究者。

外部リンク

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