大相撲
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

この例の場合、多くの銀行の担当者から断られた末に最後のつもりで尋ねた銀行の担当者が相撲に理解を持っていたことからようやく融資を受けられるようになった[51]
退職

力士が引退後協会に残らない時や年寄が停年を待たずに退職する場合などには廃業という言葉を用いてきたが、現役幕内力士であった旭道山和泰衆議院議員選挙に出馬し当選したことがきっかけとなり、語感もあまり良くないことから1996年11月17日から次のように表現を改めた。

区分改称前改称後
力士廃業引退
引退
年寄廃業退職
停年、退職

満65歳(誕生日の前日)を以って年寄は定年退職となるが、日本相撲協会では停年の表現を用いる。年を取ることをやめ、余生を楽しんでもらいたいという意をこめてのことである。なお、2014年11月16日からは停年になった年寄の再雇用制度が発足しており、この制度の適用を受けた年寄は給与が停年前より低くなり、部屋を持つことができないなどの制約はあるものの70歳までは日本相撲協会に残ることができる。
因習的な問題
閉鎖性

横綱審議委員会と言う諮問機関や、一部の事務職を外部から採用している以外、すべて元力士(年寄)によって運営され、その閉鎖性は繰り返し指摘される。かつてはおおむね年寄は短命であり、年寄株もむしろ余り気味なことが通例だったが、近年では空き株がほとんどない状況が続いている。結果として年寄株の高騰を招き(額面は9桁、億単位に達している)、1998年5月には「準年寄」制度の導入などで対応したが(2006年末廃止)、それでも数々のトラブルが発生している。小錦、若乃花(花田虎上)、といった、大関・横綱を務め人気もあった力士たちが次々協会を退職している理由としては、芸能界格闘技プロレスなど他分野に新天地を求めたい気持ちがあるが、親方になっても将来が保証されていない現状であり、そうした先行きの不透明感も一因としてあると言われている。

また、その閉鎖性のため旧態依然の封建的体質が色濃く残り、一部の部屋では俗に「かわいがり」と言われる(稽古名目での)私刑が横行していた。2007年には時津風部屋力士暴行死事件が発覚。愛知県警が双津竜順一らを立件する事態にまで至り、日本相撲協会北の湖敏満理事長(第55代横綱)が文部科学省より呼び出され事情を説明する騒ぎとなっている。また、時津風部屋では日本相撲協会による事情聴取についてマスメディアが駆け付けた際に時津風部屋所属力士が憤慨しカメラマンに暴行する事件も発生している。2010年9月にも、元十両・大勇武龍泉が12代芝田山(第62代横綱・大乃国)から暴行を受けたとして被害届を警視庁に提出。親方は書類送検されたが2011年1月起訴猶予となり、2012年12月に両者の間で和解が成立した。

また、力士養成員への手当金の親方による着服疑惑とそれによるトラブルも繰り返し指摘され続けているが、関取になったときに力士として認められるという慣習ゆえに、対応が取られた様子は当然ない。
出身地による参加機会の不均等

理事会の申し合わせにより各部屋の外国出身者(日本国籍取得者も含む)の採用は1人までとされており、個人の出身地により参加機会が不均等になっている。
年寄の国籍要件

年寄になるためには、日本国籍が必要である。運営上の閉鎖性問題もあるが、これは日本相撲協会が文部科学省所轄の公益財団法人であることが大きい。外国出身で役力士を務める者もおり、元高見山の12代東関や第67代横綱・武蔵丸の15代武蔵川など日本国籍を取得(帰化)して相撲協会に残る者もいる。

その一方、横綱・大関を務めた力士が引退後に角界を離れる場合もあるが、その事情は様々である。第64代横綱・は日本国籍を取得済みで、引退時に曙親方として東関部屋の部屋付きとなっている。年寄名跡の取得を希望していたが、師匠の12代東関が金銭観念の甘さ[52]を見て経営者の側面もある部屋継承者として適格と判断しなかったという[53]。第68代横綱・朝青龍は2010年1月16日未明に一般人に対する暴行事件を起こしたため、同年2月4日に相撲協会の引退勧告に従って引責引退をしている。また元大関・把瑠都は角界のしきたりや慣習に馴染めず、引退後も角界に残る意向は無かったという[54]
女人禁制

日本相撲協会主催の大相撲は土俵上への女性の立ち入りを認めていない。

2000年大阪府知事に就任した日本初の女性都道府県知事である太田房江は春場所の優勝力士に大阪府知事賞を直接授与することを日本相撲協会側に要求したが、認められなかった。

2007年9月19日(秋場所11日目)には観客の40歳前後の女性が土俵に乱入する事件が発生している。これに関して日刊スポーツは「約1400年の大相撲の歴史で初めて女人禁制が破られた」としている[55]。日本相撲協会側ではこれについて、この女性が土俵内には入っていないため伝統は破られていないとしている[56]

2018年4月4日、巡業先の舞鶴市多々見良三市長が土俵上であいさつ中に倒れ、救命のため医療従事者の女性が土俵に上がったが、相撲協会はこの女性に対して土俵を降りるよう場内アナウンスで促した[57]。これについて八角理事長は「人命にかかわる状況には不適切な対応でした」と謝罪している(「女性は土俵から降りてください」騒動[58]

この女人禁制の風習は明治期の「違式?違条例」発令と「神道の穢れ感」を利用し「虚構の伝統」が創られたとされる[59]

日本の相撲の歴史においては室町時代から女相撲も存在しているが、団体も違い、同一興行も行われていない[59]1957年に大相撲の四国巡業において女相撲の大関若緑が勧進元挨拶をしたのは、第39代横綱・前田山第二次世界大戦で相撲をやめてしまった若緑が懇意であったことからのはからいであった[60][61]。固辞する若緑に対し、前田山は「責任はとるから」と頼み込み、若緑は土俵上に立ったという[62]
志願者の減少と意識の変容

近年の日本では力士を志す人数は減少しており、2007年の名古屋場所にて行われた新弟子検査の受検者数は初めてゼロであった(2018年の名古屋場所で二度目の受検者ゼロ)[注 20]。それと併せて、大学相撲出身者および外国人による力士数の増加により、「宗教色を帯びた伝統的な儀式」よりも「一般スポーツ競技の一種」と捉えている力士数が増えている。
その他
相撲茶屋問題
詳細は「
相撲茶屋」を参照

本場所の観戦チケットの販売は相撲茶屋を前身とする国技館サービス株式会社が行っているが、一部の常連客への優遇が根強く、一般の観客の枡席券入手は困難な状況が続いている。
観客席での喫煙

大相撲の公演中、升席では喫煙が認められていたが、健康増進法の施行に伴い、2005年(平成17年)1月場所から全館禁煙となった(室内スポーツの観覧席で唯一タバコが吸えた場所が大相撲の升席であったが、以前から他の観客や力士の健康や防災面からも異常との指摘も多く、ようやく重い腰を上げた形である)。そのため、升席で使用していた灰皿が相撲博物館に寄贈された。灰皿は陶製の物であるが、木枠に入っているなど特殊な形状をしている。
座布団投げ

金星などの番狂わせがあった時や横綱が負けた時、観客が土俵に向かって座布団を投げる光景が見られることがある。2008年11月の大相撲九州場所からは、座布団投げ自体を危険行為とみなして厳しく取り締まることになり、マス席の座布団は、これまでの1人用の正方形4枚から2人用(縦1メートル25、横50センチ)の座布団2枚に変更し、さらに2枚をひもで結んでつなげた形に変わった。これにより、1人でも座布団に座っていれば座布団を投げられない仕組みになった。しかし、重さが2枚計4.8キロとなって投げられた場合の危険性が増したということで、同場所以降は、座布団投げが確認された場合は警察に通報するという厳罰化がなされた(詳細は「座布団の舞」の項を参照)。
外資系企業・他国からの表彰
外資系企業

1961年から1991年まで、パンアメリカン航空賞が優勝力士に送られていた。この贈呈にはパンアメリカン航空極東支配人のデビッド・ジョーンズが、「ヒョー、ショー、ジョォー」という独特の言い回しで始まる、方言なども取り入れた、ウィットに富んだ表彰状の読み上げを行い、好評を博していた。ジョーンズの注目度が非常に高かったため、多くの国々から友好杯などの賞が増えるきっかけともなった。しかし、1991年5月場所を最後に同賞は廃され(パンナム自体その約半年後に倒産)、ジョーンズも2005年2月2日に逝去している。
フランス共和国大統領杯・日仏友好杯

「フランス共和国大統領杯」は、知日派で大の大相撲ファンと自他ともに認めていた第五共和国第五代大統領・ジャック・シラクが設けた優勝力士に対する大統領顕彰だったが、2007年5月にニコラ・サルコジが第六代大統領に就任すると、これをあっさりと廃止してしまった。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:223 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef