大相撲
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そして約3年、総工費およそ150億円をかけ両国国技館が落成となった[15]
平成相撲立合い(2010年)土俵と各配置(行司・力士・勝負審判・控え力士・力水・塩)

平成初期に千代の富士貢以下横綱が相次いで引退し一時的に横綱が不在になる。この時期は大型のハワイ出身力士が台頭し、6代小錦八十吉が横綱昇進目前まで行く。その後、曙太郎武蔵丸光洋がそれぞれ横綱昇進、優勝回数を二ケタに乗せる。また、二子山部屋が部屋師匠の11代二子山(元大関・初代貴ノ花)の息子である若乃花勝貴乃花光司を中心に多くの関取を輩出した。若乃花・貴乃花は特に女性ファンの獲得に成功し、若貴ブームと呼ばれた。1993年頃から2000年頃にかけては、この4横綱がしのぎを削った。貴乃花は優勝22回に達し、一代年寄の資格を得た。

2000年代半ばになると二子山部屋の勢いは衰え、ハワイ出身力士は姿を消す。入れ替わって朝青龍明徳以下、スピード重視のモンゴル出身力士が登場する。朝青龍は2005年に史上初の年間全場所制覇を達成、次いで横綱になった白鵬翔は2010年に63連勝、2015年に優勝回数記録を更新するなど、ともに一時代を築いた。次いで日馬富士公平鶴竜力三郎が横綱に昇進するなど、モンゴル出身力士が圧倒的に優位な時代が続いている。同時期にヨーロッパ出身力士も登場し、ブルガリア出身の琴欧洲勝紀エストニア出身の把瑠都凱斗が大関にまで上った。日本人力士の中では稀勢の里寛が横綱に昇進している。

2000年後半から不祥事が相次ぎ、2007年には時津風部屋力士暴行死事件、2008年には力士による大麻取締法違反事件の責任を取る形で理事長が辞任、2010年には野球賭博問題、2011年には八百長問題が発覚してそれぞれ本場所に影響を及ぼした。その後も力士間での暴力事件、立行司によるセクシャルハラスメント行為の発覚、道路交通法違反(無免許運転)行為、「女人禁制」の問題などが存在する[16][17][18][19][20]

2014年1月30日公益財団法人の登記を行い、新法人としてスタートした。財団法人となった1925年以来89年ぶりの改組で、引き続き税制の優遇を受ける[21]
令和

2019年5月場所より、アメリカ大統領杯の授与が始まる。

2020年、新型コロナウイルスの感染拡大に際しては、3月場所を無観客開催[22]、5月場所を中止、7月場所は会場を名古屋から東京へ移し、観客数を制限したうえで開催した[23][24]。9月場所も観客数を制限して開催し、11月場所も福岡から東京に移して開催された[25]。また、協会員から罹患者が発生し、死者も出た[26]

2021年3月場所13日目、三段目取組において掬い投げを食らった力士が頭から土俵上に転落、病院に搬送されて治療を受けていたが、同年4月に肺血栓による急性呼吸不全のため死亡した[27]。土俵上での取組による事故で死亡した初の事例となった。
興行

大相撲の興行としては、本場所と巡業が特に大きなウェイトを占める。
本場所詳細は「本場所」を参照

本場所は協会主催で定期的かつ公式な興行で、技量を査定し、待遇(地位と給与)を決める性質がある。1958年以降は隔月で年間6場所行われている。開催場所は2019年現在のもので、呼称は日本相撲協会の表記に準ずる(メディア等により表記が異なる場合がある。本場所#概要を参照)。

開催月正式名称通称開催場所
1月一月場所初場所両国国技館
3月三月場所場所
大阪場所エディオンアリーナ大阪(大阪府立体育会館)
5月五月場所場所[28]両国国技館
7月七月場所名古屋場所?2024年:ドルフィンズアリーナ(愛知県体育館)
2025年?:愛知国際アリーナ[29]
9月九月場所場所両国国技館
11月十一月場所九州場所福岡国際センター


両国国技館

エディオンアリーナ大阪(大阪府立体育会館)

ドルフィンズアリーナ(愛知県体育館)

福岡国際センター

地方巡業

本場所のない時期には、力士一行が本場所が行われていない地方へ出向き、1日限りの相撲披露を行う。これを(相撲・大相撲) 巡業という。協会では巡業を本場所と並ぶ最重要事業として位置付けている。詳細は「巡業#大相撲における巡業」を参照

関取が所属していない部屋の取的は、巡業に参加することができず、部屋によっては合宿を行う部屋もある。
花相撲詳細は「花相撲」を参照

勝敗が番付や給金に反映されない興行を総称して花相撲と呼ぶ。トーナメント相撲、親善相撲、奉納相撲、引退相撲などがある。巡業も広く捉えれば花相撲の一つである。
海外公演

海外公演とは、日本国外から招待を受けて日本相撲協会主催で日本国外にて取組を行うことである。日本の伝統国技を日本国外で披露すると同時に、相手国との友好親善、国際文化交流に寄与することを目的にしている。力士は「裸の親善大使」などと呼ばれ、これまでに13回開催している。

回数開催年月名 称都 市備 考
第1回1965年7月-8月
ソ連公演モスクワハバロフスク日ソ復交調印10周年記念
第2回1973年4月中国公演北京上海日中国交正常化記念
第3回1981年6月メキシコ公演メキシコシティ
第4回1985年6月アメリカ公演ニューヨーク東京ニューヨーク姉妹都市25周年記念
第5回1986年10月 パリ公演パリ東京パリ友好都市提携5周年記念
第6回1990年6月ブラジル公演サンパウロ
第7回1991年10月 ロンドン公演ロンドンロンドン日本協会設立100周年記念
第8回1995年10月 ヨーロッパ公演ウィーン、パリ
第9回1997年6月オーストラリア公演メルボルンシドニー日豪外交100周年記念
第10回1998年6月カナダ公演バンクーバー
第11回2004年2月韓国公演ソウル釜山日韓共同未来プロジェクト
第12回2004年6月中国公演北京、上海日中定期航空路線開設30周年記念
第13回2005年10月 ラスベガス公演ラスベガスラスベガス市制100周年記念
第14回2009年10月(中止) ロンドン公演ロンドン世界的な不況により中止


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