『手にすくう水もなし』と詠われた荒れ地那須野が原(扇状地)の中にあって、大田原市は扇端湧水地帯付近に位置し比較的水の便に恵まれている。そのため古くより奥州街道の宿場町として繁栄し、また戦国時代より続いた大田原氏の居城・大田原城の城下町でもあった。旧市街地には城下町時代の往時を偲ばせる、敵の来襲に備えた狭い道、鍵型に曲がった道などの面影が随所に残る。栃木県北地域の政治経済文化の中心的役割を担ってきたと言える。
有史以前
約13000年前 後期旧石器時代、琵琶池遺跡など大田原の地に人が住み始める。
約4500年前の縄文時代大規模集落跡が長者ヶ平などで発掘される。
有史以降
古墳時代?6世紀 那珂川周辺に上侍塚古墳、下侍塚古墳など多くの古墳が作られる。
7世紀 那須国造が置かれる。
700年(文武天皇4年) 那須国造碑が建立される。
平安時代 那須一族の荘園が佐久山、福原周辺に開かれる。
1545年(天文14年) 大田原資清(すけきよ)によって大田原城築城。
1646年 (天保3年) 1601年(慶長6年)より整備が始められた五街道のひとつ奥州街道(奥州道中)完成。
1659年(万治2年) 松尾芭蕉、雲巌寺、修験光明寺
※ 一部 ⇒大田原市ホームページ より要約
市の沿革大田原市役所湯津上支所(2008年8月)
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い町制を施行、那須郡大田原町が発足。
1954年(昭和29年)
12月1日 - 大田原町・親園村・金田村が合併し、市制を施行。大田原市となる。
12月31日 - 那須郡野崎村の一部を編入。
1955年(昭和30年)
4月1日 - 那須郡西那須野町の一部(加治屋)を編入。
11月5日 - 那須郡佐久山町を編入。
1992年(平成4年)7月1日 - 那須郡黒羽町と境界変更。