滋賀県への改称の直接のきっかけは1872年(明治4年)12月に大津県令松田道之が大蔵省に提出した要望書とされている。その要望理由は、旧幕府代官所が置かれた大津の名称をこのまま用いることは、「愚民」が旧習を捨てて開化に進む障害になるということであった[3]。
「滋賀県」の名称は、当時の県庁が大津町ではなく近郊の別所村にあったため、その所属郡を採用したものである。しかし、大津県庁は1869年(明治2年)1月から別所村に所在しており[4]、移転が改称の直接の理由ではない。この点は移転を直接の改称理由とした石川県などとは異なる。当時は廃藩置県に引き続く第1次府県統合の直後であり、県名を都市名から郡名に改める事例が全国に多数あった。大津県から滋賀県への改称もこの流れの一環と考えることができるが、詳細は明らかでない。
管轄地域
第1次府県統合以前
近江国
滋賀郡のうち
栗太郡のうち
甲賀郡のうち
野洲郡のうち
蒲生郡のうち
神崎郡のうち
愛知郡のうち
浅井郡のうち
伊香郡のうち
高島郡のうち
坂田郡のうち
伊勢国(度会県に移管)
三重郡のうち
鈴鹿郡のうち
度会郡のうち
第1次府県統合以降
近江国
滋賀郡
栗太郡
甲賀郡
野洲郡
蒲生郡
歴代知事
大津裁判所
慶応4年3月7日(1868年3月30日) - 慶応4年4月28日(1868年5月20日) : 総督・長谷信篤(元公家)
大津県
慶応4年4月28日(1968年5月20日) - 明治元年11月8日(1868年12月21日) : 知事・辻維岳(元広島藩士)
明治元年11月8日(1868年12月21日) - 明治4年11月22日(1872年1月2日) : 知事・朽木綱徳(元福知山藩士)
明治4年11月22日(1872年1月2日) - 明治5年1月19日(1872年2月27日) : 県令・松田道之(前京都府大参事、元鳥取藩士)
脚注^ 閏4月25日(1868年6月15日)とする資料もあるが、ここでは「角川日本地名大辞典」の記述によった。
^ a b 「旧高旧領取調帳」には記載なし。
^ “2 滋賀県の誕生
先代
大津代官所、彦根藩預所
(近江国の幕府領・旗本領)大溝藩西大路県・水口県・膳所県行政区の変遷
1868年 - 1872年次代
(滋賀県に改称)
表
話
編
歴
府藩県三治制(1868年 - 1871年)
府
箱館府
江戸府 → 東京府
神奈川府
越後府 → 新潟府
甲斐府
京都府
大阪府
○奈良府
度会府
長崎府
藩
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県
東北
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