大気汚染
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その間の最も汚染が酷かった1週間には、華北から中原さらに華東経て雲貴高原にまで至る国土の約3分の1(後日の発表では4分1とも言われている)で高濃度汚染(スモッグ)の発生が確認され、1月28日には中国主要74都市の約半分で空気質指数が最悪の「深刻な汚染」レベルに達した[13][14]

2018年1月30日 モンゴルの首都ウランバートルにて3,320?/?(WHOが定めた国際基準の133倍)のPM2.5濃度が観測されている。近年、モンゴルでは首都集中型の ⇒大気汚染が深刻化しており、子どもたちの間では肺炎が蔓延しているとされる[15]

研究と対処の進展衛星写真で観測されたバングラデシュとインド東部の冬の深い霧と市街の大気汚染が混ざったものと推定されている。2013年1月12日

大気汚染の研究が進展したのは20世紀に入ってからである。著名な研究として、都市気候の中での大気汚染を論じたもの(A. クラッツァー(en)、1937年、ドイツ)、工業地域や都市での石炭の消費と大気汚染や煤塵の関係を論じたもの(C.E.P. ブルックス、1950年)、ロンドンにおける公園とその周囲の大気汚染を調べ比較したもの(C.W.K. ウェインライト、1962年)、大気汚染と都市計画について論じたもの(R.E. マン、1959年)などがある。これらを通じて集められた知見は法規制や大気汚染の予測へと進展する[7]

日本では、高度経済成長期の1960年代に大気汚染が増加するとともに研究が進展した。初期の著名な研究として東京川崎の大気汚染について述べた伊藤、箕輪の研究があり、これをもとに両名は1965年に『大気汚染気象ハンドブック』を著している。1966年には学術誌『大気汚染研究』(現在の大気環境学会誌)が創刊されている。この頃から国や自治体など行政が主体となった組織的な研究が活発化した[7]。1967年に制定・施行された公害対策基本法で「典型七公害」の一つとして大気汚染の規制が開始され、後の1993年には環境基本法に継承された。1968年には大気汚染防止法が制定されている。

中国では1980年代に研究が始まり、2001年には国内47都市の空気質予報のテレビ放送を開始している[7]

産業革命以来、燃料の主力は石炭であり、石炭の燃焼に伴う煤煙を多く含んだ「黒いスモッグ」による大気汚染が多かった。これに対処するため、煤煙の排出を規制することが行われた。煤煙を上空に送るほど気流は安定していて拡散しやすいことから、規制初期には煙突を高くする措置が取られた。例えば、日本では大気汚染対策初期の1970年頃から高さを増した集合煙突が増加した。しかし、これは発生源付近の地上の濃度を下げるだけで、汚染を拡散させているのに過ぎず、本質的な解決ではなかった。後に、煤煙を回収する集塵装置が開発・普及し、排気ガス処理が進む[2][7]
白いスモッグ・光化学スモッグの問題化と汚染の多様化衛星写真で観測された中国北部北京・天津付近の激しい大気汚染、2012年1月10日(上)・11日(下)

一方、先進国では20世紀中盤から、燃料の主力が煤煙を多く出す石炭から石油に替わっていった。これにより煤煙は減少したが、石油に多く含まれる硫黄分に由来する硫黄酸化物、また自動車から排出される窒素酸化物炭化水素、窒素酸化物と炭化水素が化学変化を起こしてできる光化学オキシダントが増加し、これらを多く含んだ「白いスモッグ」が大気汚染の中心となった[2][7]

二酸化硫黄の対策として、硫黄分を回収する脱硫装置の開発・普及が進められた。日本では1970年頃から脱硫装置の設置が進んだため、東京の二酸化硫黄濃度は1960年代後半の約60ppbが1970年から1985年にかけて約5分の1に減少、1990年代初めには約10ppbになっている。またアメリカのニューヨークでも1960年代後半の約80ppbから1990年代初めに約11ppbまで減少するなど、先進国では20-30年間で最も多かった時期の6分の1程度に減少させている[2][7]。またアメリカでは大気浄化法の1990年改正において二酸化硫黄、窒素酸化物、水銀に排出取引制度が導入され、排出総量の削減に寄与している[16]

こうして先進国では煤煙や硫黄酸化物が削減されたが、次に光化学オキシダントを多く含んだ白いスモッグ、いわゆる「光化学スモッグ」が問題化した。日本では1970年に初めて発生している。光化学オキシダントを引き起こす窒素酸化物や炭化水素は、先進国でも大きな削減はできていない状況にある[2][7]

短期的な健康被害を及ぼす汚染が減少した先進国では、長期的な健康影響への関心が高まり、揮発性有機化合物などの有害化学物質が問題となった。これらに対しても規制が行われ、現在も健康影響の評価が進められている[2][7][17]

一方、温室効果ガスによる地球温暖化フロン類などによるオゾン層の破壊も、地球規模の大気汚染(地球環境問題)として浮上した。

また、被害の全貌が明らかになった訳ではないが、1950-1960年代には大気圏内核実験により地球規模で放射性降下物の濃度(降下物の放射能)が上昇した。


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