東映企画部次長で、当時東映京都撮影所に出向していた渡邊達人[7]による、本来『十三人の刺客』でやりたかったサラエボ事件の翻案を念頭に[8]、若手企画部員・松平乗道
が提案した徳川の五代将軍争いをプロットに採用して[8]、池上金男(のちの池宮彰一郎)が脚本を書いた[8]。池上金男(池宮彰一郎)脚本・工藤栄一監督のコンビによる作品は1963年公開の『十三人の刺客』と同様の顔合わせである[8]。監督の工藤栄一は、「三分の二ぐらい」までできていた池上の脚本第一稿を「テーマ性がない」として気に入らなかった。2人は論争のすえ、ハコ書きからやり直し、完成にさらに3か月かけた[9]。「終結をどうしようか」と悩み、池上が「同じ日に暗殺は二度起きない」というアイデアを出した。関係のない第三者が暗殺に成功するというストーリーが出来上がり、『十三人の刺客』との違いを出した[9]。 タイトル命名は1964年2月に東映京都所長に復帰した岡田茂による[10][11]。岡田が時代劇の題名をつけ始めてから、行為そのものを前面に打ち出す、非常に即物的でドライな語感を持つ題名に変わった[12][13]。これは以降の岡田命名の東映映画のタイトルに共通する特徴でもある[14]。 里見浩太郎(のちの里見浩太朗)の主演抜擢は、岡田が「今年は里見を売り出す」と公言していたためである[1]。岡田はギャランティの高い大御所の監督・脚本家・俳優を使わない方針を決めていた[11][15]。 『十三人の刺客』同様、クライマックスとして、終盤に35分におよぶ多数の役者による殺陣が行われる[1][6][18]。吉原田圃という設定の泥田[19]での撮影には、3台から4台のカメラが使われ、5日間かかった[1]。 当初の脚本では、吉原の遊女・立田川(園佳也子)が、「捕り方から逃げてきた」として助七(砂塚秀夫)をかくまうも、実際に追われていたのは岡部(成瀬昌彦)とわかり叩き出す、という場面が存在したが、公開時のシーンには含まれていない[6]。 ヒットしなかったとされる[20]。 DVDフォーマットはまず2013年1月11日にレンタルリリースされ、のち2016年3月9日にセル版が発売された。
タイトル
キャスティング
撮影・編集
作品の評価
興行収入
評論家のレビュー
週刊読売は「振り回すカメラ、聞きとりにくいセリフで、お客も相当疲れるが、これでもか、これでもかと展開するリアルな切り合いは題名にそむかない。脚本も面白い。ちょっとした見もの」と評している[21]。
荻昌弘は「『十三人の刺客』で沈滞した時代劇にリアルなショックを注入した工藤栄一監督は、再び池上金男の脚本を得て、異様な強烈さを持った作品を放った。クライマックスの殺陣場面もさることながら、むしろそこまでの展開部分に新しい自然主義時代劇への探求が見られて、見る者を興奮に引き込む。『トム・ジョーンズの華麗な冒険』と比べるのは変だが、いまの感覚で語法と古典時代を語ろうとする青年作家が、東西に生まれたことを私は興味深く思う。そういう内的な新しさとともに、映像の作り方も従来の東映時代劇を不敵だ。私はまだ工藤監督が己の文体を統一していないように思う。しかし見落としてならないのは、この映像が常にその場の生きた空気の存在だけは描きとっている強みである。紙芝居的パターンと化した従来の時代劇が没落一途をたどったのは、そこに空気がないことを観客に気づかれたからで、工藤監督は、そこに気づいた数少ない映画作家の一人だと思う」と評している[22]。
ビデオグラム
のちの作品への影響
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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