大殺陣
[Wikipedia|▼Menu]
神保平四郎:里見浩太郎

別所隼人:河原崎長一郎

浅利又之進:平幹二朗

山鹿みや:宗方奈美

北条氏長大木実

星野友之丞:大坂志郎

助七:砂塚秀夫

渡海八兵衛:稲葉義男

林甚兵衛(北条の側近):加賀邦男

山鹿素行安部徹
body:not(.skin-minerva) .mw-parser-output .columns-list__wrapper{margin-top:0.3em}body:not(.skin-minerva) .mw-parser-output .columns-list__wrapper>ul,body:not(.skin-minerva) .mw-parser-output .columns-list__wrapper>ol{margin-top:0}body:not(.skin-minerva) .mw-parser-output .columns-list__wrapper--small-font{font-size:90%}

日下仙之助:山本麟一

堀田正俊:原田甲子郎

神保加代:三島ゆり子

立田川(遊女)[6]園佳也子

小出治兵衛:春日俊二

岡部源十郎:成瀬昌彦

徳川綱重可知靖之

新見但馬守(幕僚):堀正夫

楠本健二

加藤浩

国一太郎

中島外記:尾形伸之介

星野たよ(星野友之丞の妻):赤木春恵

西春彦

原京市

江木健二

岩尾正隆

大月正太郎

名護屋一

畑中伶一

矢奈木邦二郎


酒井忠清大友柳太朗

スタッフ

監督:
工藤栄一

企画:松平乗道

脚本:池上金男

撮影:古谷伸

照明:安田興一

録音:小金丸輝貴

美術:富田治郎

音楽:鈴木静一

編集:堀池幸三

助監督:本田達男

記録:塚越恵江

装置:近藤幸一

装飾:川本宗春

美粧:林政信

結髪:妹尾茂子

衣裳:豊中健

擬斗:谷俊夫

進行主任:藤井又衛

語り手:芥川隆行

製作
脚本

東映企画部次長で、当時東映京都撮影所出向していた渡邊達人[7]による、本来『十三人の刺客』でやりたかったサラエボ事件の翻案を念頭に[8]、若手企画部員・松平乗道が提案した徳川の五代将軍争いをプロットに採用して[8]、池上金男(のちの池宮彰一郎)が脚本を書いた[8]。池上金男(池宮彰一郎)脚本・工藤栄一監督のコンビによる作品は1963年公開の『十三人の刺客』と同様の顔合わせである[8]

監督の工藤栄一は、「三分の二ぐらい」までできていた池上の脚本第一稿を「テーマ性がない」として気に入らなかった。2人は論争のすえ、ハコ書きからやり直し、完成にさらに3か月かけた[9]。「終結をどうしようか」と悩み、池上が「同じ日に暗殺は二度起きない」というアイデアを出した。関係のない第三者が暗殺に成功するというストーリーが出来上がり、『十三人の刺客』との違いを出した[9]
タイトル

タイトル命名は1964年2月に東映京都所長に復帰した岡田茂による[10][11]。岡田が時代劇の題名をつけ始めてから、行為そのものを前面に打ち出す、非常に即物的でドライな語感を持つ題名に変わった[12][13]。これは以降の岡田命名の東映映画のタイトルに共通する特徴でもある[14]
キャスティング

里見浩太郎(のちの里見浩太朗)の主演抜擢は、岡田が「今年は里見を売り出す」と公言していたためである[1]。岡田はギャランティの高い大御所の監督・脚本家・俳優を使わない方針を決めていた[11][15]

本作のあと、里見は岡田企画による東映京都任侠路線第1作にして、「博徒シリーズ」第1弾の『博徒』[16]と『集団奉行所破り』に抜擢された[1]。のち里見は「私は岡田茂さんに育てて頂いた」と述べている[17]
撮影・編集

『十三人の刺客』同様、クライマックスとして、終盤に35分におよぶ多数の役者による殺陣が行われる[1][6][18]吉原田圃という設定の泥田[19]での撮影には、3台から4台のカメラが使われ、5日間かかった[1]

当初の脚本では、吉原の遊女・立田川(園佳也子)が、「捕り方から逃げてきた」として助七(砂塚秀夫)をかくまうも、実際に追われていたのは岡部(成瀬昌彦)とわかり叩き出す、という場面が存在したが、公開時のシーンには含まれていない[6]
作品の評価
興行収入

ヒットしなかったとされる[20]
評論家のレビュー

週刊読売は「振り回すカメラ、聞きとりにくいセリフで、お客も相当疲れるが、これでもか、これでもかと展開するリアルな切り合いは題名にそむかない。脚本も面白い。ちょっとした見もの」と評している[21]

荻昌弘は「『十三人の刺客』で沈滞した時代劇にリアルなショックを注入した工藤栄一監督は、再び池上金男の脚本を得て、異様な強烈さを持った作品を放った。クライマックスの殺陣場面もさることながら、むしろそこまでの展開部分に新しい自然主義時代劇への探求が見られて、見る者を興奮に引き込む。『トム・ジョーンズの華麗な冒険』と比べるのは変だが、いまの感覚で語法と古典時代を語ろうとする青年作家が、東西に生まれたことを私は興味深く思う。そういう内的な新しさとともに、映像の作り方も従来の東映時代劇を不敵だ。私はまだ工藤監督が己の文体を統一していないように思う。しかし見落としてならないのは、この映像が常にその場の生きた空気の存在だけは描きとっている強みである。紙芝居的パターンと化した従来の時代劇が没落一途をたどったのは、そこに空気がないことを観客に気づかれたからで、工藤監督は、そこに気づいた数少ない映画作家の一人だと思う」と評している[22]

ビデオグラム

1995年10月21日VHSビデオが発売された。

DVDフォーマットはまず2013年1月11日にレンタルリリースされ、のち2016年3月9日にセル版が発売された。
のちの作品への影響


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:84 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef