大正
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

松尾尊~の自著で「教育が普及していきわたり、都市に住む人が増加して、都市化住民都市問題が誕生して、和食和服から洋食洋服となり、政治に関心がある国民が増加して民本主義思想や社会運動が活発となった」としている[50]

皿木喜久が自著紹介する山本夏彦エッセー集では「大正デモクラシーをひと口で言うと『猫なで声』と答える」とした。恋愛が謳歌されて、儒教と断絶して挨拶の口上が言えなくなり、新聞社説文語文から口語文となった。のびのびとした大正ロマン文化が花開き、大正自由教育運動などの教育大正期新興美術運動など芸術で自由な考え方や自由を尊重する試みが行われた。大正時代は日本史上の他の政治制度より一番ましな民本主義が誕生して、欠陥があったが戦後日本の政治思想の基本となっている。デモクラシーが、社会主義思想や平和主義思想と解釈されて、天皇制天皇皇室制度)など日本の伝統を否定する考え方と混同されたのが、大正時代であった[51]

現代における大正

2019年(令和元年)10月1日の時点では、日本における明治・大正生まれの人口は114万1千人で総人口の0.9%[52]

2020年頃より都道府県の最高齢者が大正生まれとなるケースが出てきている。男性の最高齢者は過半数の都道府県で大正生まれが最高齢で大正5年が最高齢となる県も出てきている[53]。大正元年生まれは2022年で110歳を迎えた。
大正を冠するもの
企業

大正製薬

大正海上火災保険(後に三井海上火災保険。現三井住友海上火災保険

大正薬品工業

大正薬化工業

大正銀行 - 2020年に徳島銀行との合併で徳島大正銀行になった。

家具の大正堂(ルームズ大正堂)

地名(公共施設)

大阪市大正区

大正橋

大正駅

大正駅 (大阪府)

大正駅 (北海道)

大正駅 (長崎県)


大正内港

大正運河

大正警察署

大正消防署

大正 (八尾市)

大正町

大正町 (曖昧さ回避)

大正村 (曖昧さ回避)

大正村 (北海道)

大正村 (神奈川県)


テーマパーク

日本大正村

文化作品名

大正九年(ミュージシャン)

大正野球娘。

大正琴

商品

大正海老(タイショウエビ)

学校

大正大学

大阪府立大正高等学校 - 2018年度から大阪府立大正白稜高等学校に統合・移行。

呉港高等学校(旧称大正中学)

脚注[脚注の使い方]
注釈^ 南北朝時代北朝の元号を除くか含めるかによる。

出典^ 世界大百科事典 第2版「大正時代」
^ “明治45年(1912)7月|大正と改元:日本のあゆみ”. 2020年8月30日閲覧。
^ 「明治」は11度目の正直=選から漏れた元号案、最多は40回、時事ドットコム、2019年02月02日15時19分。
^ “「昭和」を考案した男と「令和」にまで影響した森?外の執念”. 現代ビジネス. 講談社 (2019年5月2日). 2021年2月10日閲覧。
^ 第一次は1912年(大正元年)12月から翌年にかけて第3次桂内閣打倒運動が東京を中心にして各地で憲政擁護大会が開かれた。第二次は1924年(大正13年)1月清浦内閣打倒運動を起こし、政党内閣、普通選挙、貴族院改革を要求した。
^ 政党側の闘志であるこの二人は、中華民国に対する「21か条要求」には日本の特権を肯定していた。(遠山茂樹・今井清一・藤原彰『昭和史』[新版] 岩波書店 〈岩波新書355〉 1959年 15ページ)
^ デモクラシーの訳語(遠山茂樹・今井清一・藤原彰『昭和史』[新版] 岩波書店 〈岩波新書355〉 1959年 14ページ)
^ “明治神宮の鎮座と戦後復興”. 明治神宮崇敬会. 2020年10月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月29日閲覧。
^ 皿木喜久 『大正時代を訪ねてみた 平成日本の原景』「大正世代」 (産経新聞社、2002年の178ページから?181ページの明治人たり逝くの項目
^ a b c 『化粧文化』8号「大正モダン」ポーラ文化研究所、2015
^ 世界と日本(新版 ジュニア版・日本の歴史)190頁
^ 世界と日本(新版 ジュニア版・日本の歴史)193頁
^ 世界と日本(新版 ジュニア版・日本の歴史)196頁
^ 世界と日本(新版 ジュニア版・日本の歴史)202頁
^ 遠山茂樹・今井清一・藤原彰『昭和史』[新版] 岩波書店 〈岩波新書355〉 1959年 16ページ
^ a b c d 『世界大百科事典』(平凡社)「大正」の項目
^ 『図説日本史通覧』253頁
^ 世界と日本(新版 ジュニア版・日本の歴史)225頁
^ 1925年(大正14年)の新聞は治安維持法に批判的な論評を掲載するとともに、社説でも正面から反対した。「社説」では同法は「人権蹂躙・人権抑圧」であり、国民の生活や思想まで取り締まりの対象になり、集会結社の自由はなきに至ると論じた。同法成立の背景として、第一次世界大戦とロシア革命以後の社会運動や社会主義運動の盛り上がりを抑制する政策として考えられてきたものであったが、また、アメリカの無政府主義取締法を初めとする世界的な治安立法の動きが影響したと考えられる。(成田)龍一『大正デモクラシー』シリーズ日本近代史C 岩波書店 〈岩波新書1045〉 2007年 210-211ページ
^ 世界と日本(新版 ジュニア版・日本の歴史)200頁
^ a b “人的被害の9割が東京・横浜に集中 : 関東大震災を振り返る”. ニッポンドットコム (2019年8月30日). 2020年11月29日閲覧。
^ 大正から昭和へ少年少女日本の歴史202頁?207頁
^ 日本の歴史(角川まんが学習シリーズ)大正71頁
^ 「明治・大正・昭和のくらしA大正のくらしと文化」14ページ、汐文社
^ 集英社学習漫画日本の歴史大正時代大正デモクラシー125頁


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:154 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef