大正時代末期には鏑木清方が「展覧会芸術」などに対して、版画等のことを「卓上芸術」として提唱した。 社会事業を巡る議論が盛んとなり、国家経営政策として第1回国勢調査が1920年(大正9年)に実施された。米騒動後には政府・地方で社会局および方面委員制度の創設が相次いで行われ、それらの機関によって都市の貧民調査や公設市場の設置などが進められていった。 東京府・大阪府などの都市部で上水道が普及した。明治期まで非常に多かった乳児死亡率が大正期に減少した。世界中にパンデミックを引き起こしたスペイン風邪は日本国内で2380万人(当時の対人口比:約43%)が感染し、島村抱月や大山捨松、皇族では竹田宮恒久王が死去するなど約39万人の日本人が死亡した[43] また、1919年(大正8年)には第一次世界大戦を契機とした国民の思想・生活の変動に対処するという目的で内務省の主導による民力涵養運動が開始されており、後の教化総動員運動の先駆けともなる、国家が国民の生活の隅々まで統制を行おうとする傾向がこの時期から見られるようになる。 こうして大正年間において社会事業が活発となった原因として、小作争議の頻発や労働運動の大規模化など、地方改良運動に見られるような従来の生産拡大方針では解決不可能な問題が深刻化したことが指摘されている。 鈴木文治によって友愛会が設立されて、第一次世界大戦期間中にインフレが進行したことによって米騒動が発生した。成金が誕生する一方で貧富の差が拡大したことで急増した労働争議に友愛会などの労働組合が深く関係した[44]。 大正デモクラシーによって様々な社会運動が行われた。 明治期に四民平等となった後も、被差別部落出身者に対する差別が残った。明治政府の貧困対策や身分解放政策の不備、また賎民専用の皮革産業などの生業を失い貧困層となったことや、旧百姓身分の農民層からの偏見があった。西光万吉や阪本清一郎らが中心となり1922年(大正11年)に全国水平社が結成された[45]。 女性の解放が叫ばれ、ウェートレス・デパートの店員・バスガール・電話交換手・劇場の案内人・美容師・事務員・和文や英文のタイピスト・通訳・保母・看護婦・医師など社会に進出して働く職業婦人が増加した。 普通選挙運動の対象が男性のみであったことから、女性の地位向上を目指す女性運動家が出現し[46]、新婦人協会が設立された。また、高等女学校や大学へ進学する女子生徒も増えた[10]。 三・一運動によって朝鮮総督府がこれまでの憲兵警察制度による武断統治を見直し、内鮮一体と朝鮮半島の近代化を目的とする文化政治に改めた。貧困から逃れるため朝鮮人の外地から内地への密航が多発して、在日朝鮮人の増加に伴う内地人との軋轢や社会不安が社会問題となった。 西洋思想の影響を受けて仏教が近代化し、仏教思想と西洋哲学を統合する仏教近代化政策が実施された。僧侶の参政権運動が明治末期から大正期かけてあった。僧侶の政治活動が盛んで妹尾義郎が新興仏教青年同盟を結成した。仏教関係の政治団体が盛んに社会運動を行うが昭和戦前期に軍部によって弾圧された。東京帝国大学でインド哲学の専門学科が1917年(大正6年)に開設された。井上円了を中心に仏教の迷信を否定する妖怪研究があった。1924年(大正13年)に大正新脩大蔵経の編纂が開始された。[47]
社会問題
社会事業
医療衛生問題
教化総動員運動
労働運動
部落解放運動
女性解放運動大正時代の女学生
朝鮮併合問題
大正仏教運動
年表
1912年(大正元年)
7月30日、明治天皇崩御、皇太子嘉仁親王が第123代天皇に践祚。明治から大正に改元される。明治天皇の大喪の礼。乃木希典陸軍大将夫妻が殉死する。桂太郎、第3次桂内閣成立。憲政擁護会が結成。火力発電を抜いて水力発電量が第1位になる。友愛会結成[48]。
1913年(大正2年)
大正政変(第3次桂太郎内閣総辞職)、第1次山本権兵衛内閣成立。アメリカ合衆国のカリフォルニア州で排日土地法成立。宝塚唄歌隊(後の宝塚歌劇団)誕生。
1914年(大正3年)
鹿児島県の桜島が大噴火して大隅半島と陸続きになる(桜島の大正大噴火)。外電によりシーメンス事件発覚。大正天皇即位奉祝「東京大正博覧会」始まる。「カチューシャの唄」の流行。日本初の国産車登場。第一次世界大戦勃発、日英同盟を理由にドイツ帝国に宣戦布告、連合国の一員に加わる。東京駅開業。三越呉服店が日本初のデパートメントストア宣言を行い、エレベーター・エスカレーター付きの近代的店舗を建築。
1915年(大正4年)
日本が中華民国の袁世凱政権に対華21ヶ条を要求。第12回衆議院議員総選挙で与党が圧勝[49]。選挙干渉などが起きる。第1回全国中等学校優勝野球大会開催。大正天皇即位の礼。東京証券取引所で空前の出来高。
1916年(大正5年)
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