大林芳五郎(1864-1916)は、大阪市の靱(現在の西区靭本町、江之子島2丁目東部)の永代浜付近で塩及び北海道産干鰯問屋「大徳」を営んでいた大林徳七の三男・由五郎として生まれ、西大組六番小学校で学んだ[10]。同窓の志方勢七、田中市太郎
(田中市兵衛長男)、金沢仁作とは長く親交した[10]。1873年に父親が64歳で亡くなり、その妻の美喜子が家業を引き継いだが、7年後に店をたたんだ[10]。11歳で大阪西区の呉服商麹屋又兵衛に奉公にいき、1882年に独立して小売呉服店を始めたが失敗、1883年宮内省出入りの土木建築請負人砂崎庄次郎の見習いとなり、1888年に独立、1892年1月に阿部製紙所工場工事を落札し、建築請負業として開業した[10]。芳五郎の長男・大林義雄 (1894-1943)は、早稲田大学商科に学び、欧米を遊学、在学中に芳五郎が死去し、1916年に22歳で家督を継ぎ、2代目社長となった[11][12]。妻は子爵上原勇作の三女[11]。神戸市御影に1932年に建てた邸宅は現存し(現・大林組迎賓館.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度43分32秒 東経135度15分02秒 / 北緯34.72557度 東経135.25053度 / 34.72557; 135.25053)、阪神間モダニズムの一例として知られる。洋館は安井武雄、木村得三郎が設計し、和館は西川一草亭(津田青楓の兄)、北村捨次郎が手掛けた[13]。
三代目社長の大林芳郎は芳五郎の長女夫婦の二男[14]。現・代表取締役会長の大林剛郎は芳郎の二男。 ※「大林店」時代を含む 大林組は、トンネル土木やLNG地下タンクプラントなど、土木工事でも定評が有る。特に生駒トンネルに際しては、会社倒産の危機にまで落ちいったが、近畿鉄道工事部と共に難工事を成し遂げている。また、建物の基礎工事では優れた建築物が多いため、顧客からの信頼も厚い[15][16]。
歴代社長
大林芳五郎(1892年 - 1916年)
大林義雄(1916年 - 1943年)
大林芳郎(1943年 - 1989年)
津室隆夫(1989年 - 1997年)
向笠愼二(1997年 - 2005年)
脇村典夫(2005年 - 2007年)
白石達 (2007年 - 2018年)
蓮輪賢治(2018年 - )
主な施工物件
赤坂インターシティAIR(東京都港区、2017年竣工)
明石海峡大橋(神戸市垂水区と兵庫県淡路市)
イオンレイクタウン(埼玉県越谷市)
イオン新潟青山ショッピングセンター(新潟市西区)
イオンモール幕張新都心(千葉市美浜区)
イオンモール和歌山(和歌山県和歌山市)
生駒トンネル・新生駒トンネル(大阪府東大阪市と奈良県生駒市、東大阪線生駒トンネルは旧生駒トンネル再利用部を含む中工区のみ)
大阪梅田ツインタワーズ・ノース(梅田阪急ビル)(大阪市北区、2012年竣工)