大東急
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^ 1910年に武蔵電気鉄道として設立された旧社ではなく、1922年目黒蒲田電鉄として設立された「新社」の方である。
^ 東横は江ノ島電気鉄道を傘下に収めて同社の再建に尽力していたのに対し、京浜は大船から片瀬滝之口までの間に専用自動車道を有し、同区間に乗合バスを運行して江ノ電と競合していた。また、京王も藤沢自動車を傘下に収めて藤沢 - 江ノ島間で乗合バスを運行して江ノ電と競合していた。
^ 2019年3月現在も筆頭株主は東京急行電鉄(現・東急)である。
^ 長い間東急専務の柏村毅が同社社長を兼任し、1970年まで東急と共に河口湖汽船を経営したりしていた。2014年3月現在の筆頭株主は京王電鉄だが、京王グループには属していない。
^ 五島昇は没するまで同社の社外取締役を務めていた。また、2014年現在TOKYUポイントに加盟している。
^ 2009年に福山通運(当時、近鉄グループ)の子会社となった。同社公式ホームページによると、2022年10月に社名が変更され、現社名は東京福山通運となっている。
^ 東映の設立自体は第二次世界大戦後。前身である東横映画の流れを汲み、東急傘下にあった。のちにグループを離脱したが資本関係は残る。
^ 神奈川中央交通や箱根登山鉄道、東海自動車などは別途健康保険組合を有していたが、これらも1994年から2004年までに小田急グループ健康保険組合に合併した。
^ 東京急行電鉄が1943年(昭和18年)7月14日に神奈川県土木部に提出した「総未第三十六号 軌道ヲ地方鉄道ニ変更実施ノ件」による。これによれば、同年6月1日に実施した軌道から地方鉄道に変更した際に品川線の呼称をやめ、品川営業局管内の全線を湘南線と呼称することとしたと記載されている。また、『京浜急行八十年史』では1943年(昭和18年)に品川線と湘南線が統合され品川 - 浦賀間を湘南線としたとする記述があるが、『東京急行電鉄50年史』では営業局制から管理部制の変更の項、戦時中の駅休廃止の項、戦後の京急独立の項のいずれにおいても一貫して旧京浜線を品川線、旧湘南線を湘南線としており、1943年の路線名統合の記述はない[29][30]。また、「京浜急行復活を告げるポスター」など、京急側においても京急独立時まで「品川線」「湘南線」の区分けがあった資料が散見される[31]
^ 再編成後の東急電鉄の車両は全て東急車輛製造で生産されていた。また、東急車輛以外のメーカーについては、川崎重工業が小田急電鉄と京浜急行電鉄の車両を、日本車輌製造が小田急電鉄と京王電鉄の車両をそれぞれ生産している。

出典^ a b c d e f 『地方鉄道及軌道一覧. 昭和18年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ a b 50年史、pp.257-259。
^ 50年史、pp.261-268。
^ a b c d e f g h 50年史、pp.269-274。
^ a b 50年史、pp.289-290。
^ a b c d 50年史、pp.275-284。
^ 50年史、p.513。
^ a b c d 50年史、pp.276-279。
^ a b c 50年史、pp.279-280。
^ 50年史、pp.373-374。
^ 50年史、pp.381-383。
^ 50年史、pp.393-395。
^ 50年史、pp.385-386。
^ a b 50年史、pp.167-176。
^ a b 50年史、pp.167-168。
^ 50年史、pp.187-188。
^ 50年史、pp.269-271。

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