以後、大村市は18回爆撃、そのたびに三五二空・大村空で邀撃。11月11日 B-29偵察機、九州を偵察。5機で追尾するが取り逃がす。
昭和20年(1945年)
2月11日 済州島分遣隊、釜山海軍航空隊に改編。3月1日 諫早分遣隊、諫早海軍航空隊に改編。3月頃 「天号作戦」に備え特攻隊を編成、「神剣隊」を結成。3月27日 八幡空襲。邀撃に協力。4月1日 沖縄に連合軍上陸。実施部隊は三五二空とともに笠之原飛行場に進出。4月6日 「菊水一号作戦」発動。第一神剣隊16機出撃。4月14日 第二神剣隊9機出撃。4月16日 第三神剣隊3機・第四神剣隊1機出撃。4月21日 笠之原飛行場に敵機襲来、邀撃。4月22日 特攻隊を喜界島上空まで護衛。4月27日 笠之原飛行場に敵機襲来、邀撃。5月4日 第五神剣隊15機出撃。5月5日 解隊。
大村飛行場は相次ぐ空襲で壊滅的な被害を受けていたため、訓練は不可能な状態にあった。一方、本土決戦の際には基地として使用できるようにするため、海軍乙航空隊の西海海軍航空隊の隷下に置くこととなった。このため、伝統ある大村空も解散となった。笠之原に残留した神剣隊は解散を許されず、第七二一海軍航空隊に委譲され、5月14日の第六神剣隊の出撃をもって壊滅した。 水上機・飛行艇を除く各種陸上機・艦上機。ただし、横須賀海軍航空隊で訓練した気球隊、霞ヶ浦海軍航空隊で訓練した飛行船隊の配属はない。 昭和30年より海上自衛隊が使用を開始し、大村航空基地が発足した。同時に民間航空も開設された。長らく民間と海自が競合していたが、昭和50年に沖合の箕島に新滑走路が開かれ、民間機はすべて新滑走路に移転した。 朝鮮半島中部の元山飛行場は、開戦時に活動した陸攻隊の元山海軍航空隊が原隊としていたが、南方に進出したまま帰還することができなかったため、施設に余裕があった。そこで、初歩訓練を終えて戦闘機実用訓練に入った訓練生の教育を推進するため、昭和19年3月15日に元山分遣隊を設置した。他の分遣隊より一足早く、同年8月10日に独立し、二代目の元山空となった。沖縄地上戦に際し、元山空は特攻隊として「七生隊」を派遣し、大村空の神剣隊と統一行動を取っている。元山空の行動については元山海軍航空隊#二代元山海軍航空隊を参照されたい。 昭和19年3月15日に大村空の分遣隊として、長崎県諫早市小野の逓信省長崎地方航空機乗員養成所を接収して設置された。昭和20年3月1日に独立し、陸上機初歩訓練を継続した。諫早航空隊に附属して海軍病院が設置されたため、8月9日の長崎市への原子爆弾投下の際には、いち早く被災者の受け入れを実施している。司令は竹中正雄大佐が独立当日より着任し、解隊まで指揮した。 昭和19年5月15日に大村空の分遣隊として、済州島の海軍飛行場に設置された。昭和20年に入ると、海上護衛総司令部隷下の第九〇一海軍航空隊が駐留するため、済州島分遣隊の移設が必要となった。そこで釜山市近郊の金海飛行場に移転。2月11日に独立し、陸上機初歩訓練を継続した。司令は林季樹予備役大佐が分遣隊長から横滑りしたのち、5月11日に現役の高橋俊策大佐と交代し、終戦後解隊した。
主力機種
歴代司令
(心得)秋山虎六 中佐:1922年12月1日[1] - 1923年10月20日[2]
(心得)市川大治郎 中佐:1923年10月20日 - 不詳
市川大治郎 中佐:不詳 - 1924年12月1日[3]
山田忠治 中佐:1924年12月1日 - 1926年12月1日
高原昌平 大佐:1926年12月1日[4] - 1927年11月1日[5]
中村忍 中佐:1927年11月1日[5] - 1929年5月15日[6]
藤沢孝政 中佐:1929年5月15日[6] -
竹田六吉 中佐:1930年12月1日 - 1931年12月1日[7]
寺田幸吉 大佐:1931年12月1日 - 1932年11月15日[8]
大野一郎 中佐:1932年11月15日 - 1934年11月15日[9]
露木専治 大佐:1934年11月15日[9] - 1936年4月10日[10]
寺田幸吉 大佐:1936年4月10日 - 1936年12月1日[11]
千田貞敏 大佐:1936年12月1日 - 1937年7月11日[12]
内田市太郎 大佐:1937年9月25日[13] - 1938年11月15日[14]
服部勝二 大佐:1938年11月15日 - 1939年11月15日[15]
伊藤良秋 大佐:1939年11月15日 - 1941年6月25日[16]
井上左馬二 大佐:1941年6月25日 -
堀九郎:1942年2月14日 -
森田千里:1943年3月10日 -
古田良夫:1943年10月1日 -
山本栄:1943年10月頃 -
大竹嘉重郎:1943年10月頃 -
寺崎隆治:1944年7月頃 -
柴田文三:1945年1月1日 - 5月5日解隊
戦後の大村飛行場
元山海軍航空隊
諫早海軍航空隊
釜山海軍航空隊
脚注^ 『官報』第3102号、大正11年12月2日。
^ 『官報』第3350号、大正12年10月22日。
^ 『官報』第3684号、大正13年12月2日。
^ 『官報』第4283号、大正15年12月2日。
^ a b 『官報』第255号、昭和2年11月2日。
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