大日本帝国陸軍
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帝国陸軍の前身である御親兵が発足するよりも前の1870年6月(明治3年5月)、新生帝国陸軍のシンボルとして十六条旭日旗を意匠とした陸軍御国旗を採用し、さらに1879年(明治12年)に改めて陸軍御国旗の仕様を一部改正した旭日旗が軍旗として制定されている。

この軍旗は連隊旗として歩兵連隊騎兵連隊のみに対し大元帥(天皇)から親授されるものであったが、旭日旗の意匠は「帝国陸軍の象徴」として軍民問わず広く認知・使用されていた。また、旭日の意匠を用いたいわゆる「旭日旗」を日本において初めて考案・採用したのは帝国陸軍である。

陸軍御国旗/軍旗の意匠に用いられた旭日旗

常備歩兵連隊の軍旗

常備騎兵連隊の軍旗

歩兵第321連隊の実物の軍旗

陸軍省制定行進曲
観兵式分列行進曲詳細は「陸軍分列行進曲」を参照

1886年(明治19年)、シャルル・ルルー兵部省の委託により作曲した行進曲。自身が作曲した軍歌抜刀隊』と『扶桑歌』の2つの曲を基に『観兵式分列行進曲(“扶桑歌”)』として制作された。初演は陸軍教導団軍楽隊演奏にて鹿鳴館で行われた。本曲は1902年(明治35年)の第2回目の改定を経て現在の形となった。翌年の1903年(明治36年)に兵部省を改編・発足した陸軍省の制式行進曲に制定される(ルルーは1889年(明治22年)に帰国)。

主に各種の陸軍観兵式大礼天長節陸軍始)、師団等の閲兵式における分列で奏楽された。また、民間の各レーベルにおいてレコード化され、国民学校芸能科音楽の課題曲になるなど、民間においても親しまれていた。

『陸軍分列行進曲』という通称でも知られるが、「陸軍?」の冠称については、戦前には確認できない[注釈 2]。英訳は『Army Defile March “Fusouka”』など。
観兵式行進曲

作曲者・作曲年不明。徒歩部隊の分列に用いる行進曲。
観兵式乗馬隊行進曲

作曲者・作曲年不明。自動車化歩兵部隊機甲部隊機械化砲兵部隊輓馬砲兵部隊飛行部隊等の分列行進・分列飛行の際に奏楽された行進曲。
駈足行進曲「賀路」

作曲者・作曲年不明。騎兵部隊の分列行進の際に奏楽された。ギャロップ(襲歩)式の行進曲。
帽章星章

帝国陸軍の建軍初期は旭日章を意匠としたものを「日章」と称し帽章に使用していたが、のちに一般師団(一般将兵)に属する者および陸軍軍属は「五芒星(五光星)」を意匠とした「星章」を、「近衛」の称呼を冠する近衛師団に属する部隊に属する者は「星章」の周囲を「桜葉」で覆ったものを帽章として使用した。しかしながら、旭日章を帽章とする「第一種帽」は将校准士官が正装時に着用する「正帽」として、また、儀丈部隊でもある近衛騎兵連隊に属する下士官兵は騎兵将校准士官正衣(正帽)に準じる「供奉服」を、ともに第二次大戦期まで存続・使用している。

明治33年制式の中佐第一種帽・陸軍歩兵中佐時代の久邇宮邦彦王

明治19年制式の将官第二種帽・陸軍中将時代の山口素臣

明治45年制式の将校准士官軍帽。形状自体は昭和期に青年将校の間で大流行した「チェッコ式

明治45年制式の下士官兵軍帽(四五式軍帽)・近衛歩兵第1連隊附陸軍二等兵時代の辰口信夫

頂上部に五芒星を刺繍した明治45年制式の将校准士官正帽(旧:第一種帽)・陸軍砲兵少尉時代の北白川宮成久王

軍装「軍服 (大日本帝国陸軍)」および「軍刀」を参照
ギャラリー

陸軍の昭和9年ないし13年制式の将校准士官刀(上段、将佐尉官准士官用)と、明治19年制式の将校准士官指揮刀(下段、尉官准士官用)

明19制刀(尉官用)

靖国神社境内、日本刀鍛錬会で製作された軍刀

昭18制刀

九五式軍刀


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