この軍旗は連隊旗として歩兵連隊と騎兵連隊のみに対し大元帥(天皇)から親授されるものであったが、旭日旗の意匠は「帝国陸軍の象徴」として軍民問わず広く認知・使用されていた。また、旭日の意匠を用いたいわゆる「旭日旗」を日本において初めて考案・採用したのは帝国陸軍である。
陸軍御国旗/軍旗の意匠に用いられた旭日旗
常備歩兵連隊の軍旗
常備騎兵連隊の軍旗
歩兵第321連隊の実物の軍旗
陸軍省制定行進曲
観兵式分列行進曲詳細は「陸軍分列行進曲」を参照
1886年(明治19年)、シャルル・ルルーが兵部省の委託により作曲した行進曲。自身が作曲した軍歌『抜刀隊』と『扶桑歌』の2つの曲を基に『観兵式分列行進曲(“扶桑歌”)』として制作された。初演は陸軍教導団軍楽隊演奏にて鹿鳴館で行われた。本曲は1902年(明治35年)の第2回目の改定を経て現在の形となった。翌年の1903年(明治36年)に兵部省を改編・発足した陸軍省の制式行進曲に制定される(ルルーは1889年(明治22年)に帰国)。
主に各種の陸軍観兵式(大礼・天長節・陸軍始)、師団等の閲兵式における分列で奏楽された。また、民間の各レーベルにおいてレコード化され、国民学校芸能科音楽の課題曲になるなど、民間においても親しまれていた。
『陸軍分列行進曲』という通称でも知られるが、「陸軍?」の冠称については、戦前には確認できない[注釈 2]。英訳は『Army Defile March “Fusouka”』など。 作曲者・作曲年不明。徒歩部隊の分列に用いる行進曲。 作曲者・作曲年不明。自動車化歩兵部隊・機甲部隊・機械化砲兵部隊・輓馬砲兵部隊・飛行部隊等の分列行進・分列飛行の際に奏楽された行進曲。 作曲者・作曲年不明。騎兵部隊の分列行進の際に奏楽された。ギャロップ(襲歩)式の行進曲。 帝国陸軍の建軍初期は旭日章を意匠としたものを「日章」と称し帽章に使用していたが、のちに一般師団(一般将兵)に属する者および陸軍軍属は「五芒星(五光星)」を意匠とした「星章」を、「近衛」の称呼を冠する近衛師団に属する部隊に属する者は「星章」の周囲を「桜葉」で覆ったものを帽章として使用した。しかしながら、旭日章を帽章とする「第一種帽」は将校准士官が正装時に着用する「正帽」として、また、儀丈部隊でもある近衛騎兵連隊
観兵式行進曲
観兵式乗馬隊行進曲
駈足行進曲「賀路」
帽章星章
明治33年制式の中佐第一種帽・陸軍歩兵中佐時代の久邇宮邦彦王
明治19年制式の将官第二種帽・陸軍中将時代の山口素臣
明治45年制式の将校准士官軍帽。形状自体は昭和期に青年将校の間で大流行した「チェッコ式」
明治45年制式の下士官兵軍帽(四五式軍帽)・近衛歩兵第1連隊附陸軍二等兵時代の辰口信夫
頂上部に五芒星を刺繍した明治45年制式の将校准士官正帽(旧:第一種帽)・陸軍砲兵少尉時代の北白川宮成久王
軍装「軍服 (大日本帝国陸軍)」および「軍刀」を参照
ギャラリー
陸軍の昭和9年ないし13年制式の将校准士官刀(上段、将佐尉官准士官用)と、明治19年制式の将校准士官指揮刀(下段、尉官准士官用)
明19制刀(尉官用)
靖国神社境内、日本刀鍛錬会で製作された軍刀
昭18制刀
九五式軍刀