大日本帝国憲法
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注釈^ 大日本帝国憲法には、表題に「大日本帝国」が使用されているが、詔勅では「大日本憲法」と称しており、正式な国号と規定されたものではない。1936年(昭和11年)から第二次世界大戦終戦までは外交文書において「大日本帝国」に統一されたが、それ以外では「日本国」「日本」などの名称も使用された。
^ 制定の過程において新聞紙上及び民権運動家から様々な批判があったにもかかわらず、発布に際しては国を挙げた奉祝ムードにあったことを、当時、東京大学医学部で教鞭を執っていたベルツが記している(『ベルツの日記』)。
^ 全部改正であるにもかかわらず、「大日本帝国憲法の全部を改正する。」旨の記載がないのは、このような記載をするようになったのが、日本国憲法制定後のためである。また、廃止制定方式の場合には、附則に「○○法は、廃止する。」旨の記述をしなければならないが、本草案中には「大日本帝国憲法は、廃止する。」という文言はない。なお、このことは、日本国憲法についても同様である。
^ 衆議院には内閣不信任権が憲法で明記されている。
^ 大日本帝国憲法第8条2項は、緊急勅令は「次の会期に於て帝国議会に提出すべし。もし議会に於て承諾せざるときは、政府は将来に向けてその効力を失うことを公布すべし」としており、議会がその勅令を承認しない場合は将来に向けて効力を停止する勅令が発布される。
一例として、日本政府は1919年(大正8年)、ベルサイユ条約締結によりドイツ帝国膠州湾租借地の譲渡を受ける予定で、締結5日前の6月23日に緊急勅令を発し、日本政府はドイツ、オーストリア、ハンガリー及びトルコの個人や法人の財産を管理できるものとしたが、当該勅令は帝国議会が承諾せず、翌年3月25日に効力停止の勅令が発布された[32]。当時、中華民国パリ講和反対デモ(五四運動)が進行していたこと、結果的に中国がベルサイユ条約への調印(署名)を拒んだためであると見られる。

出典^ 小項目事典, デジタル大辞泉,精選版 日本国語大辞典,旺文社日本史事典 三訂版,ブリタニカ国際大百科事典. “帝国憲法(テイコクケンポウ)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2024年5月5日閲覧。
^ 衆議院憲法調査会事務局. “明治憲法と日本国憲法に関する基礎的資料 (明治憲法の制定過程について)”. 衆議院. p. 2. 2023年11月10日閲覧。
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^ “大日本帝国憲法”. www.archives.go.jp. 2023年3月25日閲覧。
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^ “明治維新と租税の近代化|租税史料特別展示|税務大学校|国税庁”. www.nta.go.jp. 2023年3月24日閲覧。
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^ 美濃部達吉 1927, p. 11.
^ “五日市憲法草案 現代語訳 「第一篇 国帝」(2) | あきる野デジタルアーカイブ”. archives.library.akiruno.tokyo.jp. 2023年11月10日閲覧。 “18.国帝の身体は神聖にして侵害することはできない。また、責任を負うべきところはない。国政に関して、もし国帝が国民に対して過失があったときはその執務担当大臣のみが責任を負う。19.国帝は、立法・行政・司法の3部門をとりまとめ、管理する。21.国帝は、海陸軍の全体を監督し率いる。軍事に携わる官吏を任官し、軍隊を整備して必要に応じて軍隊を派遣することができる。 ただし軍隊内の昇級や免職、退役については法律で定めた規則にしたがって国帝がこれを決める。”
^ 三浦藤作『歴代詔勅全集 第5巻』河出書房、1940。国立国会図書館デジタルコレクション コマ145
^ “国憲起草の詔”. 国立公文書館. 2020年9月4日閲覧。
^ “日本国憲按(明治9(1876)年10月の憲法草案(第一次国憲按))”. 国立国会図書館. 2020年9月4日閲覧。
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^ “岩倉具視の憲法構想”. 国立国会図書館. 2020年9月4日閲覧。
^ “明治憲法と日本国憲法に関する基礎的資料 (明治憲法の制定過程について)”. 2023年3月25日閲覧。 “まず、井上毅により、明治 20 年(1887)3 月に草案の初稿が、次いで 5 月に最初の体系的な憲法草案(甲乙 2 案)が作成された。草案の作成に当たっては、井上とロエスレル及びモッセとの間で討議がなされたようである。 このうち、甲案は正式草案と呼ぶべきもので「最初ノ命意ニ依リ君主ノ特権?ニ他ノ綱要ノ部分ヲ「プレアンブル」ニ譲リ務メテ条章ヲ簡省ニスルノ方嚮ヲ取」ったもので、7 章 72 ヵ条からなるものであった。 これに対し、乙案は「務メテ許多ノ条章ヲ列挙スルヲ以テ目的トシ」また「私39意ヲ以テセス」との方針の下に作成されたもので、8 章 79 ヵ条からなるものであった。 この井上による草案とは別に、伊藤の命を受けたロエスレルによる草案(8章 95 ヵ条)も、ほぼ同じ時期に作成された。 伊藤は、以上の 3 草案を携え、伊東巳代治と金子堅太郎を随えて、神奈川の夏島にあった別荘において集中的な検討を行った(後日、井上も合流した。)。 この夏島における精力的な検討作業の結果、同年の 8月中旬には、7章 89 ヵ条からなる草案(「夏島草案 」又は「八月草案」と称される。)が取りまとめられた。”
^ a b フジテレビトリビア普及委員会『トリビアの泉?へぇの本? 5』講談社、2004年。 
^ 伊藤之雄「明治天皇」|2006‐9‐10|p=248‐272
^ 柴田勇之助 編、「大日本憲法發布の詔勅」『明治詔勅全集』、p26-27、1907年、皇道館事務所。[1]
^ 瀧井一博. “グローバル・コンテキストのなかの明治憲法”. 国際日本文化研究センター. p. 158. 2023年11月10日閲覧。 “当時の民権派の新聞・雑誌も総じて、憲法の発布を歓迎している。「余は大日本帝国憲法を良憲法と思ふなり、聞しに優る良憲法と思ふなり」とは、改進党の論客高田早苗の評である。”
^ 国立国会図書館. “以下の記事に関して、掲載箇所を教えて頂けないでしょうか。@『東京朝日新聞』明治22年2月7日付 社説...”. レファレンス協同データベース. 2023年9月1日閲覧。
^ 井上毅 1891.
^ “ ⇒国会開設百年”. 明治聖徳記念学会. pp. 10-11. 2024年1月14日閲覧。
^ 渡部昇一『世界史に躍り出た日本』 第5巻 明治編、ワック〈渡部昇一「日本の歴史」〉、2010年5月21日。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 978-4-89831-144-8
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