「それ如来の説法は必ず文字による。文字の所在は六塵其の体なり。六塵の本は法仏の三密即ち是れなり。
(如来の説法は必ず文字によっている。文字のあるところは、六種(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚・思考)の対象をその本体とする。この六種の対象の本質は、宇宙の真理としての仏の身体・言語・意識の三つの神秘的な働きこそがそれである[12]。)」
?空海(『声字実相義』より)
「身口意業は虚空に?じ、如来の三密門金剛一乗甚深教を演説す。
(大日如来が身・口・意で起こす三つの業は虚空に遍在し、三つの業の秘密において仏と平等の境地にひたる仏の教えを演説する[7]。)」 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
仏像・仏画11世紀から12世紀(平安時代)に作られた大日如来像、重要文化財、東京国立博物館蔵大日如来坐像、根津美術館蔵
像容
出典検索?: "大日如来"
像形は、宝冠をはじめ瓔珞などの豪華な装身具を身に着けた、菩薩のような姿の坐像として表現される。これは古代インドの王族の姿を模したものである。一般に如来は装身具を一切身に着けない薄衣の姿で表現されるが、大日如来は宇宙そのもの存在を装身具の如く身にまとった者として、特に王者の姿で表される。ただしチベット仏教では、宝飾品を身に纏わずに通常の如来の姿で表現されたり、あるいは多面仏として描かれることもある。印相は、金剛界大日如来は智拳印を、胎蔵界大日如来は法界定印を結ぶ。 マハーバーラタには、太陽神ヴィローチャナ・アスラ王ヴィローチャナを同一視している箇所が32例ある[18]。また興福寺監修『阿修羅を究める』では「例えば、北周時代(六世紀後半)の敦煌莫高第四二八窟南壁に描かれた『盧遮那仏説法図』では、盧遮那仏像の胸あたりに須弥山が描かれ、その前にやはり月と太陽を手にした阿修羅像が現わされている」とある[19]。 宮坂宥勝(高野山大学)は、『マハーバーラタ』における第二の場合、すなわちVirocana、VairocanaとAsuraとの結合については仏教諸経典についてもこれを認めることが出来る。例えば『雑阿含経』には「?盧闍那阿修羅子婆稚」とある。また、初期仏典の累層的発展形態を示す密典の一つの『仏母大孔雀明王経』には「微盧遮那薬叉」とあり、同経梵本ではVirocanaの異名をYak?a(夜叉)としている。『大海経』(Mah?samamayasutta 大三摩惹経)にはVerocana(=skt. vairocana)がAsuraの別名R?huとして、森の法会(Dhammasamaya)において釈尊を讃歎するやちおろずの神々のひとりとして登場する。 ? 宮坂宥勝、 「アスラからビルシャナ仏へ」 『密教文化』1960(47)、1960年、p.16。 と述べている。 中村元は、「ヴェーローチャナ ?Verocana.本文の中ではこのように表記されている。=skt.:Vairocana.もとは太陽を意味する語であった。この語が大乗仏典に取り入れられると、毘盧遮那、大日如来となる。これに詳しい研究としては『VirocanaとVairocana ―研究序説』(『渡辺照宏仏教学論集』筑摩書房、一九八二年、四〇五?四二六ページ)。」とある[20]。
作例
岐阜・横蔵寺像、鎌倉時代。
京都・東寺講堂像、現存像は室町時代の再興。
奈良・円成寺像、平安時代末期、運慶作。国宝。
和歌山・金剛峯寺像、平安時代前期、元西塔本尊。
栃木・光得寺像、鎌倉時代、運慶作。
東京・真如苑 像、鎌倉時代、運慶作。
大阪・金剛寺像、鎌倉時代。国宝。
曼荼羅が望まれています。
胎蔵曼荼羅金剛界曼荼羅
他の宗教の神との関連性
ヴィローチャナ