大怪獣ガメラ
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当時の大映としても湯浅自身としても[注釈 9]、規模の大きな特撮を駆使した怪獣映画の制作は初のことであり、試行錯誤の連続だったという。特撮映画にはもとより光学撮影やフィルム合成が欠かせないが、大映の撮影所には現像所がなく、オプティカル・プリンターは旧式で、フィルムの傷消しに使っていた程度でしかなく、合成の技術者すらいなかった。まだデビュー2作目の新人監督である湯浅は、ベテランのカメラマンから「お前に何がわかる!」と侮られ、毎日が喧嘩だったと述懐している。これには、監督が主導権を持っていた東宝の撮影所と異なり、大映の撮影所は東京も京都も伝統的にカメラマンが主導権を持っていたという背景があった。

こうした中、やがて撮影が遅れ始めた際には、心配した撮影所所長が個人的に「円谷特技プロに知り合いがいるから内緒で円谷監督を呼んでやるぞ、頼んだらどうだ?」と声をかけてきたという。しかし、湯浅は「それはできません!」と断ったといい、あくまで大映独自の特撮作品を創ろうと心に決め、これに臨んだ。とはいえ本作品の撮影班は撮影所では「継子扱い」だったといい、周りでは誰も成功するとは思っていなかった。特撮の撮影では莫大な照明量が必要となるが、セットがそもそも特撮に対応していないため、ライトをつけると電気の容量が足りず、本番では他のスタジオの電気を落としてもらった。しかし、「冗談じゃない、お前一人でやってんじゃねえ」と、湯浅は他の撮影班からさんざんに怒られたという。
特殊美術

当時、大映東京撮影所には大規模な特撮作品を制作するだけの人員も設備も不足しており、築地によるとミニチュアや造形物の技術者もおらず、東京市街や東京湾襲撃のシーンのコンビナートでは、写真を引き伸ばしてベニヤ板に貼り付けた「切り出し」の手法が採られている。コンビナート襲撃シーンでは、本編部では石油タンクのそばでの撮影ということで火がたけず、特撮部では「切り出し」セットをごまかすために煙を多用ということで「あんまり派手にやらないでくれ」「十年早い」と双方の監督同士でもめたといい、両者の煙の調子を合わせるのがひと苦労だった。先述したように特撮スタジオ自体がもともと専門でなかったために排煙口が小さすぎて、特撮班でもコンビナート火災シーンの煙が充満して大変だったという。

また、予算も撮影期間も特撮怪獣映画としては十分ではなかったため、劇中での災害シーンは既存のニュース映像が多数流用されている[注釈 10]東京タワーをガメラが押し倒す際にはガメラが手をかける前にミニチュアが倒れてしまい、ガメラの手のアップを別に撮って編集でごまかしたという。ビルなど建物のミニチュア制作は工作部のスタッフが担当したが、スタッフには宮大工出身者も含まれていたため、NGが出ると湯浅は怒鳴りつけられたという。「Zプラン」の火星ロケットのミニチュアは6尺サイズの巨大なものが用意され、発射シーンではスタジオの地面を掘り下げてセットを組んだ。

冒頭の北極のセットでは、大日本製氷社にしかなかった砕氷機を撮影所に持ち込み、前の晩に大型トラック3台分の氷をセットに敷きつめた。翌日、スタジオ内は巨大な冷蔵庫と化してしまい、スタッフも俳優も寒さと転倒の危険を押して撮影に挑んだ。北極シーンの撮影終了後、氷が解けるまで3日間ほどスタジオは使用できなかったという。ガメラ出現シーンでは、対象物のない氷原のセットで井上章が3尺用のセットを組んだが、築地は「迫力が出ない」と6尺スケールで撮影したために井上と喧嘩になり、「監督、止めてくれ」と湯浅が呼ばれる騒ぎになったという。結局、雪原のセットの横に6尺スケールのセットを作って寄りのカットなどを撮った。湯浅監督によると「スタッフ全員が怪獣映画は初めて」ということで、そこまで頭が回らなかったという。
ガメラの炎

ガメラが口から吐く火炎は、従来の東宝怪獣のような光学合成ではなく、実際に加圧したガソリンプロパンガスで噴出して熱したニクロム線で着火した。実物の炎を使ったのは湯浅の意見だった。八木ら造形スタッフは当初、ガメラが火を吐くということを知らされておらず、演技者が入ったまま火を吐かせているのを見て驚いたという。村瀬らは本物の火を使うということで、ガメラの口に石綿を貼り付けてラテックスを塗り、火炎放射の撮影ごとに塗り直して対処した[3]。FRP製の歯は燃えてしまうため、予備が用意されていた[3]。怪獣映画の撮影自体初体験である湯浅と築地の両監督以下、特撮スタッフはガメラが火を吐いただけで「出たよ!」と大喜びだったという。ガメラが海上の炎の帯で伊豆大島に誘導されるシーンは、水面すれすれに設置したにガソリンを流して点火した。ガメラが炎を飲み込むカットは、フィルムの逆転で表現した。

当初は演技者が入ったまま火炎放射を行ったが、やはり危険なために演技者無しで撮影するようになった。このころ、水中から現れた後に演技者無しのガメラが火を吐くシーンでガソリンが暴発し、ぬいぐるみが破壊されて1週間撮影が中断してしまったことがあった。奇跡的に怪我人はなかったという。このときちょうどプロデューサーの斉藤米二郎が見学中だった。斉藤は「(本社と現場に挟まれて)普段ブーブー言ってるから、わざとやったんじゃないかと」と笑っている。火薬の量も試行錯誤で、飛行シーンでもよく爆発があったという。湯浅は「火薬は出たとこ勝負で、量を一ひねり多く詰めるだけで全然違っちゃう」と語っている。
スタッフ

監督の湯浅憲明は「怪獣映画」について、「基本的には見世物小屋ろくろ首。お金出して暗闇の中で観る。ショーとしての面白さ。理屈をつけるのもいいけど、それより面白さですよ」と語っている。自身が「子供好き」という湯浅は、子供の視点から見た作劇を念頭に置き、ガメラと子供とが意志を通じ合わせるという描写は、一種のテレパシーのようなものと解釈して演出した。当時、観客の子供たちから「俊夫少年が捨てた亀がガメラになったの?」との質問を受けたという。ガメラはラストでロケットにより宇宙へ追放されるが、これは湯浅らスタッフの「主役なんだから殺さないでおこう」との親心だった。2作目が制作されるとは、スタッフの誰も考えていなかったという。

八木正夫村瀬継蔵ら造形陣は特殊造形だけでなく、操演にも参加した。操演現場には高橋章もアルバイト参加している。この当時の造形仲間は、本作品の制作後に造形会社「エキスプロダクション」を設立し、本作品以降にもガメラシリーズに関わることとなった[3]。大映の美術部員だった三上陸男も本作品の制作後、大映を退社してエキスプロに参加している。

クレジットはされていないが、大映専務の永田秀雅が製作者として参加している。永田は「大映の映画には、至上命令として「役者の顔を綺麗に撮る」という特徴があり、ガメラ映画にしても主役のガメラの顔は全部綺麗に撮っている」といい、「これは今までガメラについて解説された本で見落としている点です」と語っている。

監督:湯浅憲明

企画:斉藤米二郎

製作:永田秀雅[注釈 1]

脚本:高橋二三

撮影:宗川信夫

録音:渡辺利一

照明:伊藤幸夫

美術:井上章

音楽:山内正

編集:中静達治

スチール:沓掛恒一[注釈 1]


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