大庭柯公
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^ 国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス[1]、『20世紀日本人名事典』[2]では1924年(大正13年)、『世界大百科事典 第2版』[3]では1923年(大正12年)、『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』[4]では1921年(大正10年)と没年が記されている。また、「『1923年(大正12年)5月23日にシベリアのイルクーツク付近で銃殺された』という証言を得た」という報道もある[5][6]
^ 長府惣社町の生家跡に1996年に建てられた解説碑がある。
^ 『朝日日本歴史人物事典』等では父の名を「景明」とする。

出典^ “大庭, 柯公, 1872-1924”. Web NDL Authorities (国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス). 国立国会図書館 (2019年1月7日). 2021年5月20日閲覧。
^ 20世紀日本人名事典『大庭 柯公』 - コトバンク
^ 世界大百科事典 第2版『大庭柯公』 - コトバンク
^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典『大庭柯公』 - コトバンク
^ 「また伝えられた大庭柯公氏の死」『読売新聞』、1924年8月23日、3面。
^ 「大庭柯公氏は確に銃殺された 氏が最後まで滞在してゐた一露人の証言で」『朝日新聞』、1924年8月23日、7面。
^ a b 『世界大百科事典』
^ a b c維新史跡めぐり法華寺 志士の杜
^ a b c d e f g h i j 『朝日日本歴史人物事典』
^ 『読売新聞百年史』。松山は東京朝日の元編集局長であった。
^ a b読売新聞用語解説[リンク切れ]
^ a b 稲子恒夫編著『20世紀のロシア 年表・資料・分析』東洋書房、2007年
^ 山崎今朝弥「日本社会運動内面史」『解放』解放社、第4巻2号 ⇒[1]
^ 山内昭人「片山潜、在露日本人共産主義者と初期コミンテルン」『大原社会問題研究所雑誌』566号、2006年[2]。寺田は久保田名義で1926年に『赤露二年の獄中生活』(矢口書店)を刊行した。
^ 鈴木徹三「戦後社会運動史資料論―鈴木茂三郎」『大原社会問題研究所雑誌』517号、2001年[3]。鈴木徹三は鈴木茂三郎の子息。
^日本人粛清犠牲者リスト - 加藤のウェブサイト
^ 「大庭柯公氏の金五百円を労農政府から送金 北京の大使館の手を経て我島田領事に依頼」『読売新聞』、1924年11月27日、2面。
^ 「十八日総持寺で大庭柯公氏の大法要 寝食いをしては済まぬと――」『読売新聞』、1925年1月9日、2面。
^ 「大庭柯公氏の追悼会 きのう総持寺で」『読売新聞』、1925年1月19日、2面。
^ 「革命直後ロシアでスパイ容疑 不明の大庭読売新聞元編集局長70年ぶり名誉回復」『読売新聞』、1992年12月19日、15面。
^ 「ロシアで消えた記者の遺品70年ぶり返る スパイ容疑逮捕の大庭柯公」『朝日新聞』、1997年1月24日、1面。
^ 「遺品、親類から東京の孫に 旧ソ連で死亡の大庭柯公記者」『朝日新聞』、1997年2月26日、28面。
^ a b 『明治維新観の研究』田中彰 北海道大学図書刊行会, 1987、p267
^ おおば・けいよう 大庭 景陽(1915年没)公益財団法人渋沢栄一記念財団

参考文献

『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞社、1994年(コトバンク[4]
にて閲覧可)

世界大百科事典平凡社(コトバンク[5]にて閲覧可)

芳地隆之『満洲の情報基地ハルビン学院』新潮社、2010年

関連文献

久米茂『消えた新聞記者 大庭柯公』雪書房、1968年

松枝佳奈『近代文学者たちのロシア 二葉亭四迷・内田魯庵・大庭柯公』ミネルヴァ書房、2021年

外部リンク

『大庭柯公
』 - コトバンク

『大庭 柯公』 - コトバンク

新宿区:新宿ゆかりの人物データベース|人物詳細|大庭 柯公

明治の越境者たち - 国立国会図書館「本の万華鏡」第138回常設展示。大庭の著書『南北四万哩』の紹介がある。

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