大平透
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翌年には実写版テレビシリーズ『スーパーマン』で主演のジョージ・リーヴスの吹き替えを担当[2][13]。好評を博すも、リーヴスがスーパーマン以降のキャリアが伸び悩み自殺に至った事から、自身もスーパーマンでキャリアを終わらせたくないと考え、1960年小林清志に引き継がせて降板する[2]

1958年、TBS劇団解散に伴いフリーとなり[9][注釈 2]1963年大平プロダクションを設立[9]1982年からは大平透声優ゼミナールを開校し[9]、後進の指導にあたっていた。この間には、『スーパーマン』等のシリアス路線から『恐妻天国』のフレッド・フリントストーン役や『ハクション大魔王』のハクション大魔王役などの主役に抜擢され、コメディ路線の新境地を開拓した[15]

1989年には『笑ゥせぇるすまん』の主役・喪黒福造役やディズニーキャラクターピート役に抜擢され演じており、最晩年に病気療養で降板するまで専属で担当し続けた。

2000年8月26日、妻と死別。2005年頃には体力の衰えを感じ引退を考えるも、仕事をしていたスタッフの後押しを受けて病気療養するまで現役で活動し続けた。

2007年3月3日、第1回声優アワード功労賞を受賞[16]2013年には、第7回声優アワードで森功至小原乃梨子岡本茉利と共に「シナジー賞(タツノコプロ50周年)」を受賞した[17]3月23日、24日に開催された「東京国際アニメフェア2013」では第9回功労賞を受賞[18]
晩年・死去

2014年11月1日付けで81プロデュースに所属。2015年頃から体調を崩しがちになり、同年12月からは病院でリハビリに入ったため、持ち役には代役が立てられた[19]。同年12月14日、ディズニー主催の謝恩会に出席。これが公の前に現した最後の姿となった[20]

2016年4月12日肺炎で死去。86歳没[10]6月20日に、パレスホテル東京で偲ぶ献花式が執り行われた[21]
特色

声種は深みのある低音[7]

知名度の高い作品で主役やレギュラーを務める事が多かったため、晩年のインタビューでは自身のキャリアについて「つくづく私はラッキーだなって思いますよ。来る仕事、来る仕事、みんな当たっちゃうんですよね(笑)」と自負していた[22]

1970年から2001年まで毎日放送 - NET系(1975年4月からはTBS系)で土曜日の朝に放送されたワイドショー『八木治郎ショー』⇒『八木治郎ショー・いい朝8時』⇒『すてきな出逢い いい朝8時』では、1994年まで番組筆頭スポンサーだった田辺製薬(現:田辺三菱製薬)の生コマーシャルを担当した。
人物

大橋巨泉とは50年来の大の親友であった。大平の死去からちょうど3か月後に巨泉も死去している。弟子に安富史郎浜田健作らがいる。義母は東京都議会議員[23][24]。東京西洋家具同業組合の組合長であった藤田平三郎は大舅[24]

身長は180cmあり、アテレコ黎明期には狭いスタジオの中、一つのマイクを何人もが奪い合って収録するという環境において、大平がいると「邪魔っけでしょうがなかった」と比較的小柄な納谷悟朗は冗談混じりにインタビューで語ったことがある。なお、大平自身は多くの声優にそう思われていた当時を振り返り、「でも私が主役だったからねえ」とこれまた冗談混じりに語っている。

同年代の大塚周夫はインタビューを受けた2009年当時、現役でアテレコをやっている80代で芝居を真剣に勉強してきた役者の一人に大平の名前を挙げていた[25]
仕事に対する姿勢

ラジオ出身ということもあり、「声優」という呼称は抵抗なく用いた。反面、声優業に強いプライドを持ち、声優業が専業ではない芸能人が声優業をすることには批判的であった。

「自分が関わった仕事はヒットしてほしい」との思いから、嫌われることを覚悟の上で自分の意見や考えを主張し実践することが多かった。『笑ゥせぇるすまん』の収録現場では、リハーサル後にスタッフへ内容の面白さをはっきり伝え、台本が気に入らない場合は総監督を呼びつけ大平が自ら台詞を修正、変更していたという。当時演出だった大地丙太郎は後に、スタッフ間での大平は怖くうるさい存在だと言われていたものの「大平さんの言ってる事は正しいと思ってた」といい、台詞の変更も「確かに元の台詞より、大平さんの作った台詞の方がいい」と語っている。また、この姿勢について「作品を一所懸命やってるんだなと思ったんだ。何でもかんでも『面白くない』じゃなく、『面白い』と思ったら『面白いじゃねえか!』っていう。声優でそんな事を言う人はいないし、制作現場でも『これがいいんだ!』とガツンという人はいない」と評している[26]

デビュー時に監督やプロデューサーとしても活動していた経験から、共演する後輩声優にはアドバイスや指導をすることが多かった[15]。「若手はヘタクソでも一生懸命やるけど、中堅になって慣れてくると手を抜くヤツがいるんですよ」と、演技力不足でも一生懸命な若手の演技に関しては寛容であったが、手を抜いた演技をした共演者(主に声優の仕事に慣れて手を抜くことを覚えた中堅)がいた際は叱りつけていた[22][27]。ランチタイムの時にビールを飲んでいた者に対しては本人に直接怒らず、プロデューサーに「午後に仕事を控えてを飲むヤツとは一緒に仕事したくないから、そいつを下ろすか、俺を下ろすか決めてくれ」と伝えたという[22]。本人いわく「意地悪じゃなくてね、そういう“適当にやっている姿勢”が嫌なんです。私の弟子には、絶対そういう中堅にならないように指導していますけどね」とのこと[22]

スーパーマン役で有名になった影響で仕事に制限がかかってしまった過去があることから、オーディションには参加せず、デモ用テープは一切作らなかった[28]

自分がCMに出た企業は、その企業の製品しか使わないことをモットーにしていた[15]

持ち役には拘りが強かった。『ハクション大魔王』の続編『よばれてとびでて!アクビちゃん』では低予算のため、大平の演じた大魔王役にギャラが安い別の声優をキャスティングしようとしたところ、それを聞いた大平は新人ランクのギャラで出演を引き受けたという[29]

ファンを大切にしており、2008年の「第1回シンプソンズファン感謝祭」には無償で参加。また、この時に行われたサイン会は抽選にする予定でスタッフは大平にそれを勧めたが、「ある人は貰って、ある人は貰えないんじゃ、とってもかわいそうです」と大平の強い意向で来場者500人全員へのサインが実現した[15]
エピソード

声優デビューにより、日本ルーテル・アワーの専属アナウンサーではなくなった後も『ルーテル・アワー』や『この人を見よ』などに引き続き出演したほか、ラジオのキリスト教伝道番組『心の友』[30]太平洋放送協会製作のテレビ伝道番組『特別番組・メリークリスマス』にも出演している。

1970年代、下積み時代のビートたけしがバイトしていた通産省前のガソリンスタンドで大平の車を給油したという話があり、タケちゃんマンロボのナレーション収録で楽屋に居た大平をたけしが訪れ、このエピソードを披露したという[15]


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