大尉
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^ これまでの順席では海軍を上、陸軍を下にしていたが、明治5年1月20日の官等表から陸軍を上、海軍を下に変更した[29]
^ 当時の官制に規定がないことに拘らず現に明治4年7月以前に一時賜金、明治4年8月以後は恩給年に通算した先例もある軍人の名称の内、大尉に相当するものには次のようなものがある(個人名は省略)[35]

明治23年陸軍恩給令により恩給を受けている者の内

大尉代:退役時は砲兵大尉

大尉准席:退役時は砲兵中佐


明治24年軍人恩給法により恩給を受けている者の内

二等士官:退役時は歩兵中佐

大尉准席:退役時は歩兵中佐

大尉心得:退役時は歩兵少佐

大尉心得:退役時は歩兵少佐

大尉心得:退役時は歩兵大佐


^ 大尉心得はその本官の職を取る。本官とは、大尉は中隊長の職を取る[36]
^ 前項の大尉心得に等しいもの[36]
^ 准席はすべてその官相当の職を取っていたもの。即ち大尉は中隊長[36]
^ 軍監は監察の職を取っていたもの[36]。大尉相当[36]
^ 二等士官は大尉相当であってその職を取っていたもの[36]
^ 前項の二等士官に等しいものであってその職を取っていたもの[36]
^ 1873年(明治6年)5月以前に用いられた各種名義の軍人について、当時の官制に於いて規定した明文がないものの、例えば心得、准官のような名義の者であっても当時は戦時に際して上司の命令を以て実際に軍隊・官衙等に奉職しその任務を奉じたことから、明治25年5月に陸軍大臣の請議による閣議に於いてこれらを軍人と認定しており[33] [34] [注釈 11]、これらのうち大尉に相当するものには明治3・4・5年の頃の大尉心得[注釈 12] [注釈 7]、明治2・3・4年の頃の准大尉並び職務[注釈 13] [注釈 7]、明治2・3・4年の頃の大尉准席[注釈 14]、明治元年以来、明治4年頃の軍監心得[37] [注釈 15]、明治元年以降、明治4年頃までの二等士官[注釈 16]・准二等士官[注釈 17]などがある[37] [36] [34]
^ a b 明治5年1月に海軍省が定めた外国と国内の海軍武官の呼称によるとシニヲル・リューテナントを大尉に対応させている[38]
^ 二等兵から始まる徴兵軍人でも功績を認められ、上官からの勧めで幹部養成学校に入校した場合はこの限りではなく、少佐以上の階級に昇進した例も多い。例として、武藤信義二等卒(二等兵の旧称)から始まり、陸軍教導団・陸軍士官学校・陸軍大学校と進み、最終的には元帥にまで上り詰めている。

出典^ a b “「大尉」「大佐」の読みは?”. NHK放送文化研究所. 日本放送協会 (2016年2月1日). 2019年6月18日時点の ⇒オリジナルよりアーカイブ。2022年9月10日閲覧。
^  太政官『海陸軍大中少佐及尉官及陸軍曹長權曹長ヲ置ク』。ウィキソースより閲覧。 
^ 内閣官報局 編「第604号海陸軍大中少佐及尉官及陸軍曹長權曹長ヲ置ク(9月18日)(沙)(太政官)」『法令全書』 明治3年、内閣官報局、東京、1912年、357頁。NDLJP:787950/211。 
^ 「御沙汰書 9月 官位相当表の件御達」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C09090037000、公文類纂 明治3年 巻1 本省公文 制度部 職官部(防衛省防衛研究所)
^ 国立国会図書館 (2019年). “7. 法令の種別、法令番号” (html). 日本法令索引〔明治前期編〕. ヘルプ(使い方ガイド). 国立国会図書館. 2023年12月2日閲覧。
^ 「弁官往復閏 7月 官位相当表の義々付上申」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C09090036900、公文類纂 明治3年 巻1 本省公文 制度部 職官部(防衛省防衛研究所)

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