1990年代には40万人都市となり、1996年には大宮駅西口に大宮アルシェが開業した他、1999年からはプロサッカークラブ・大宮アルディージャの本拠地となっている。
2001年5月1日に南側に隣接する県庁所在地であった浦和市、浦和市と大宮市に挟まれる形で存在していた与野市と合併し「さいたま市」となって消滅した。
さいたま市発足後には旧市内の南部である現在の大宮区吉敷町(さいたま新都心付近)にコクーンシティが、北部では現在の北区宮原町にもステラタウンがそれぞれ2004年に開業した。そして2022年には大宮駅東口の再開発により、大宮区大門町に大宮門街が開業し、さいたま市民会館おおみや(旧・大宮市民会館)が移転した。 市制以前の歴史については、前身の一つである「大宮町 (埼玉県)」も参照。
年表
1591年(天正19年) - 浦和宿と上尾宿の間の馬継場であった場所に大宮宿が設けられる。
1869年(明治2年)
1月28日 - 大宮県が設置されたが、県庁は東京府日本橋馬喰町に置かれる[2]。
9月29日 - 県庁が浦和に設置され、浦和県に改称。
1871年(明治4年)11月14日 - 浦和県が忍県・岩槻県と合併し、埼玉県となる。
1883年(明治16年)7月28日 - 日本鉄道第一区線 上野駅 - 熊谷駅間が開業する。大宮に駅は設けられなかった。
1885年(明治18年)
3月16日 - 日本鉄道浦和駅 - 上尾駅間に大宮駅が開業。
7月16日 - 日本鉄道第二区線 大宮駅 - 栗橋駅間が開業。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い[2]、北足立郡大宮宿・土手宿村・上天沼村・下天沼村・高鼻村が新設合併し大宮町となる。
1898年(明治31年)7月15日 - 大宮商業銀行が設立。
1906年(明治39年)4月16日 - 川越電気鉄道が開業(1941年廃止)。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定により、秋葉原駅 - 青森駅間が東北本線、大宮駅 - 高崎駅間が高崎線と命名される。
1913年(大正2年) - 電灯が使用可能になる[3]。
1914年(大正3年)6月-9月 - 町民らが川越電力に対し、電気料金値下げを要求するため同盟消灯を実施。値下げを実現させる[4]。
1929年(昭和4年)11月17日 - 総武鉄道(現在の東武野田線)粕壁駅 - 大宮駅(仮駅。現在地とは異なる)間が開業。同線に大宮駅・大宮公園駅・大和田駅・七里駅が開業。
1930年(昭和5年)4月12日 - 総武鉄道に北大宮駅が開業。
1932年(昭和7年)
4月1日 - 木崎村大字北袋が大宮町に編入される[2]。
9月1日 - 省線電車(京浜東北線)の赤羽駅 - 大宮駅間が延伸開業[2]。
1940年(昭和15年)
7月22日 - 川越線が開業。同線に日進駅・指扇駅が開業。
11月3日 - 大宮町・三橋村・日進村・宮原村・大砂土村が新設合併し、大宮市が発足[2]。県内では川越、熊谷、川口、浦和に次ぐ5番目の市制施行であった。
1945年(昭和20年)4月13日 - 太平洋戦争末期に小規模な空襲を受ける(宮町・大門町付近)[2]。
1948年(昭和23年)7月15日 - 高崎線に宮原駅が開業。
1955年(昭和30年)1月1日 - 指扇村・馬宮村・植水村・片柳村・七里村・春岡村を編入合併する。
1962年(昭和37年)5月1日 - 国道17号大宮バイパスが開通する[2]。
1964年(昭和39年)3月20日 - 東北線に東大宮駅が開業。
1965年(昭和40年)10月1日 - 埼玉県内の国鉄の駅としては初めて大宮駅に特急電車の停車が開始[2]。
1966年(昭和41年)9月29日 - 盆栽町に大宮市立漫画会館(現・さいたま市立漫画会館)が落成する[2]。
1969年(昭和44年)12月27日 - 大宮市内の国道17号新大宮バイパスが供用開始[2]。
1974年(昭和49年)
9月1日 - 上尾市と大宮市との境界変更を実施、大字西宮下の一部を大宮市別所町へ編入し、大宮市の一部を上尾市側へ編入する[5][6]。これにより該当区域に居住する2世帯4人が大宮市へ移る。