大宮アルディージャ
[Wikipedia|▼Menu]

張体制2年目。塚本泰史の右大腿骨骨肉腫が判明。7試合未勝で17位に下がり、張が退任。鈴木淳が監督に就任すると、チーム状態は上昇し、第15節から5戦無敗となった。10月2日の浦和戦にて観客数の水増しが発覚。クラブ側は当初全面否定したが、翌日にリーグ事務局による本格調査が入ると一転して事実を認め、その後の調査で2007年11月以降の主催58試合で各試合4000人以上、合計111737人の水増しが行われていたことが明らかになった[17]。10月に渡邉誠吾の代表取締役退任と鈴木茂の代表取締役就任を発表[18][19]。11月16日に譴責(始末書提出)と制裁金2000万円の処分が課せられた[20]。最終順位12位。
2011年


クラブスローガンは「上昇宣言 ?リスの木登り?」。
鈴木体制2年目。東日本大震災の影響でレギュレーションに変化があった。後半では第18節から5試合未勝利、第19節から5試合未勝利と15位まで下がった。最終順位13位。
2012年


クラブスローガンは「上昇宣言2012 ?リスの木登り?」。
鈴木体制3年目。現役復帰を断念した塚本泰史が大宮アンバサダーに就任し、7年間在籍したエースの藤本主税が熊本に移籍。 第12節からの連敗で15位に下がると、鈴木とヘッドコーチの石井知幸を解任。ズデンコ・ベルデニックが監督に就任し、ユースコーチの井上卓也がヘッドコーチに就任。ベルデニックは監督就任早々に守備の立て直しに着手した[15][21][16]v。大宮監督就任以前のベルデニックは3バックを使用していたが、大宮ではフォーメーションを4-4-2に固定した[15][16]。最前線からの守備を徹底し、選手全員が最前線からハードワークを行い、中盤を詰めてチームをコンパクトに保ち、ハイプレスでボールを奪ってシンプルにFWに繋ぐ堅守速攻スタイルの訓練を積み重ねた[15][21][16]。選手の役割は柔軟にさせるのではなく、予め固定し、戦い方はシンプル・簡潔で「ボールを奪ったらFWを見ろ」と選手に徹底した[15][21]アトレティコ・マドリードディエゴ・シメオネが使用する4-2-2-2の強固ブロックも採用した(ただしベルデニックはハイライン、シメオネはローラインである)[15]。夏の移籍期間に絶対的エースであったラファエルを移籍させるなどの大鉈を振るった。補強面ではスロベニア代表のズラタンノヴァコヴィッチを獲得[15]金澤慎によると、ベルデニックは短期間でチームに自分のサッカースタイルを浸透させたというが[21]、どちらも効果が早く表れず、降格圏の17位に下がった。しかしその後に効果が表れ始め、最終節までの11試合が5勝6分の無敗・複数失点0となり[15]、最終順位13位。
2013年


クラブスローガンは「大宮共闘」。
ベルデニック体制2年目。堅守速攻スタイルが昨シーズンよりも浸透した[21]チョ・ヨンチョル、ズラタン、ノヴァコヴィッチなどの各国代表クラスの選手が在籍していたが、日本代表未経験選手らを中心としたハードワークで勝利を積み重ね[15]、前年度終盤から続いた合計21戦無敗を記録し、当時のJ1リーグ連続無敗記録を更新した(それ以前の最高記録は2009年の鹿島による17試合連続無敗[15])。第8節には柏をアウェイで4-0で粉砕しクラブ初の首位に浮上。その後も勝利を続け、このまま独走するかに思われた。しかし、真夏が近づくに連れ、ハードワークを要求される大宮の選手達の疲労が蓄積し、選手間でもハードな練習メニューに対する不満の声が出るようになった[22]。第17節 川崎戦にて逆転負けの3敗目後に首位から転落すると、ヘッドコーチの小倉勉がテクニカルディレクターに就任したが[22]、チームは連敗を続け、8月11日にベルデニックを解任[22]。ゼネラルマネージャーの岡本武行が監督代行で1試合指揮を取った後、小倉が監督に就任したが、第16節からの連敗は8まで伸びた。第24節横浜FM戦では勝利するも、次節からまた8連敗するなど大失速し、14勝3分17敗で最終順位14位。シーズン終了後に岡本と強化部長の古矢武士が退任。
2014年


クラブスローガンは「大宮共闘」。
大熊清が監督に就任。海外クラブに在籍していた日本代表の家長昭博を完全移籍で獲得するなど戦力補強を進めた。大宮は長年堅守速攻を採用していたが、大熊はポゼッションフットボールを採用し、これを起点に大宮は毎年スタイルが変わり続けるようになっていった。前半では8位となったが、その後に7戦未勝となり、降格圏に下がる。その後に10戦未勝となり、8月31日に大熊を解任。コーチの渋谷洋樹が監督に就任し、6戦で5勝1敗となったが、第29節からの5戦未勝で低迷。最終節勝利の上で残留を争っていた清水が負ければ残留という状況だったが、清水甲府に引き分け、このため勝ち点1及ばず9勝8分17敗の16位でJ2降格となった。
2015年(J2)「2015年のJ2リーグ#リーグ概要」も参照

クラブスローガンは「挑む 頂点へ、未来へ」。

渋谷体制2年目。渋谷は自らがコーチとして師事した初代監督のピム・ファーベークのスタイルであるポゼッションフットボールを志向し、攻撃的スタイルを採用した[23]。前年度では不調であった家長昭博を司令塔MFからFWへ変更させ、最前線に配置し、得点力を大幅に向上させるなど、家長の潜在能力を開花させた[24]。また家長はこの年を機にFWとしてプレーすることが主となっていった。序盤はスタートダッシュに失敗したが、その後はチームが安定し、第15節に首位になると首位を一度も譲ることなく勝利を積み重ね、圧倒的な勢いで快進撃を続けた。第41節大分戦にて2点を先行されるもムルジャの2得点、家長の逆転PKで勝利し、J2優勝とJ1復帰を果たした[25]
2016年 - 2017年(J1)
2016年


クラブスローガンは「挑む より高みへ、未来へ」。
渋谷体制3年目。「勝ち点48」「年間順位7位から12位」を目標に掲示し、後の日本代表である
江坂任などを補強。前年度の攻撃的ポゼッションフットボールを止め、自陣へと退いて堅守し、ボールを奪ってロングカウンターで得点するロングカウンター型堅守速攻で手堅く勝利を積み重ねていった[16]。またその戦術がアトレティコ・マドリードディエゴ・シメオネの戦術と類似していたため、大宮とアトレティコは報道機関から比較されることがあった[16]。6月に鈴木茂が代表取締役を退任[26]、7月1日に森正志が代表取締役に就任[27]。2nd第10節川崎戦の試合終了後に選手間での乱闘、サポーター間での衝突が発生[28][29]。2nd第14節鹿島戦にて勝利し(カシマサッカースタジアムでのクラブ史上初勝利)、目標の「勝ち点48」以上の勝ち点50を達成。最終的に勝ち点は56まで伸び、順位は5位でクラブ史上最高順位を記録した。Jリーグカップでは予選トーナメント2位により2005年以来の決勝トーナメント進出となり、準々決勝の横浜FM戦ではホーム第1戦は勝利、アウェー第2戦は敗北し、アウェーゴール差で準々決勝敗退となった。天皇杯では2005年以来2度目のベスト4まで勝ち上がったが、川崎に敗北。
2017年


クラブスローガンは「挑む ?より強く、未来へ。?」。
渋谷体制4年目。前年度までのエースの家長昭博川崎泉澤仁G大阪に移籍したが、家長の穴を埋める新エースの大前元紀と期限付き移籍で在籍していたマテウスを完全移籍加入で獲得。この年は前年度の堅守速攻から2015年度のポゼッションフットボールにスタイルを戻したが、開幕より6連敗で最下位となり、G大阪戦では6失点の大敗を喫した。さいたまダービーの浦和戦にて年度初勝利となったが、チームは不調を脱することはできず、5月28日に渋谷とヘッドコーチの黒崎久志を解任、コーチの伊藤彰が監督、海本慶治がヘッドコーチに就任。伊藤はフォーメーションを4-1-4-1に変え、ポゼッションフットボールを継続し、1トップの江坂任が得点源となり[30]、一時は降格圏を脱出するが、中断期間に補強したカウエマルセロ・トスカーノキム・ドンスが機能せず、チームは再度降格圏に入った。残試合3節となった11月5日に伊藤と強化本部長の松本大樹の解任、石井正忠の監督、スカウトの西脇徹也の強化本部長就任を発表[31]。石井は監督就任会見時に涙を浮かべ、残留のためにポゼッションフットボールから堅守速攻へとスタイル変更するなど大舵を切ったが[31]、第32節仙台戦の敗戦と第33節甲府戦での引き分けによりJ2降格が決定[32]。最終節川崎戦では0-5で大敗を喫した。第28節終了時点では勝ち点差が10あった新潟にもここでまくられ、大宮は最下位でのJ2降格となった(新潟は最終節までの6試合で5勝1分の勝ち点16を得たのに対し、大宮は3分3敗の勝ち点3のみしか挙げられなかった)。ちなみにこの試合では、奇しくも前年度までの大宮のエースであった家長が川崎の選手として出場しており、川崎はこの試合でJ1優勝が決定した。
2018年 - 2023年(J2)
2018年


クラブスローガンは「ONE 勝利のために」。
石井体制2年目。スローガンは石井を中心に考案された
[33]江坂任黒川淳史瀬川祐輔和田拓也などの主力選手が移籍したが、奥抜侃志笠原昂史酒井宣福佐相壱明嶋田慎太郎ロビン・シモヴィッチ富山貴光中村太亮三門雄大が加入し、シーズン途中では畑尾大翔が加入するなど、後に大宮の主力になっていった有力選手が多く加入した。石井はエースの大前元紀を軸とした4-4-2のフォーメーションを採用した[34]。前年度終盤の守備的な堅守速攻フットボールとは異なり「まずは自ら前に出てアクションを起こす」というようなアグレッシブさを徹底し、ハードワーク、ハイプレス、中央突破のショートカウンター、DFの裏を狙う事を重視し、ポゼッションフットボールカウンターアタックを取り入れたシンプルでアクティブな躍動感のある積極的フットボールを志向した[35][36][37]。前半は守備面では浸透に時間がかかり[38]、19位に下がったが、攻撃面では大前を軸とし、シモヴィッチや富山なども含めた2トップが徐々に功を奏し、第10節から第12節まで3連勝したことでシーズン初連勝を記録。守備面でも三門と大山啓輔のダブルボランチが活躍し始め[39]、CBの畑尾大翔を期限付き移籍で獲得するなど守備陣を補強した。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:190 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef