出生の子が将軍になった人物は名前を太字で、孫が将軍になった人物は斜字で表示 大奥に住む女性たちの大部分を占めていたのが女中たちであった。ちなみに幕府から給金を支給されていた女中たちすべてを「大奥女中」と言い、実際には将軍家の姫君の輿入れ先や息子の養子先の大名家にも存在していたという。女中の人数は最盛期で1000人とも3000人とも言われる。 女中は基本的に将軍付と御台所付の女中に大別されているが、役職名はほとんど同じである。ただし、格式や権威に関しては将軍付の方が高かった。また、特定の主人を持たない女中たちを「詰」と呼んだ。 序列や役職名は時代によって異なるが、江戸時代後期の奥女中の役職は以下の通りであった。 大奥女中一覧階級読み方主な役職 奥女中のうち、上臈御年寄から御坊主までがお目見え以上と言い、将軍と御台所への目通りを許されていた上級の女中たちである。女中たちのお禄(手当)は主に切米、合力金、扶持(月々の食料)、湯之木(風呂用の薪)、五菜銀(味噌や塩を買うための銀)、油などの現物が多かった。また老女(上臈御年寄、御年寄を総称して「老女」と言う。)になると町屋敷が与えられることもあった。 奥女中には通常旗本や御家人などの武家出の女性が雇用された。しかしそれも建前で、時代が下るにつれて裕福な町人出の女性が「行儀見習い」目的に奉公に上がることが多くなる。町人の場合、初めの頃こそは親戚や知り合いの先輩女中の口利きを頼ったり、旗本や御家人の家へいったん養女入りしたりという、迂遠な根回しや手続きを経て大奥入りしたが、後代になって武士と町人の経済力が完全に逆転すると、今度は旗本や御家人の方から持参金付き養女縁組みの話を持ちかけてくることも珍しくなくなっていった。 大奥を舞台にした小説・舞台・映画・テレビドラマなどで「大奥総取締」が登場する場合があるが、実際には「大奥総取締」という職名は大奥には存在しなかった[注釈 11]。
大奥女中
上臈御年寄じょうろうおとしより御台所の御用や相談役を担当。御台所に同伴してきた京の公家出身女性の名誉職であることが多かったと言われている(上臈御年寄を参照)。
御年寄おとしより大奥の万事を取り仕切る最高権力者。「表」の老中に相当する(御年寄を参照)。
御客応答おきゃくあしらい諸大名からの女使が大奥を来訪した際の接待役を担当する。
中年寄ちゅうどしより御年寄の指図に従う代理役。献立のチェックから毒見役までをこなした。
中揩ソゅうろう将軍・御台所の身辺世話役。家柄や器量の良い女性が選ばれこの中から側室が選ばれていた(御中を参照)。
御小姓おこしょう御台所の小間使。7歳?16歳くらいの少女の場合が多かった。
御錠口おじょうぐち大奥と中奥の出入り口である錠口の管理を担当した。
表使おもてづかい外公役。御年寄の指図で物資調達を広敷役人に要請していた。
御右筆ごゆうひつ日記から書状に至る一切の公文書管理を担当。諸大名からの献上品の検査役も担っていた。
御次おつぎ御膳や様々な道具の運搬から対面所掃除などを担当。
切手書きってがき七ツ口を通ってやってくる外部からの来訪者の持つ「御切手」という通行手形をあらためる役職。
呉服之間ごふくのま将軍、御台所の衣装仕立て係。
御坊主おぼうず将軍の雑用係。剃髪姿で羽織袴を着用している。中高年の女性が就く事が多く、場合によっては中奥へ出入りすることもあった。
御広座敷おひろざしき表使の下働き。大奥を来訪した女使たちの御膳の世話をした。
御三之間おさんのま御三之間以上の居間の掃除一切をこなす。
御仲居おなかい御膳所にて料理一切の煮炊きを担当。
火之番ひのばん昼夜を問わず大奥内の火の元を見回る。武芸に長けており警備員的な役割も担っていた。
御茶之間おちゃのま御台所の茶湯を出す役。
御使番おつかいばん広敷・御殿間の御錠口の開閉を管理する。
御半下(御末)おはした(おすえ)大奥の雑用一切を受け持つ下女。
「大奥総取締」