大奥
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5代将軍徳川綱吉の生母・桂昌院はその最たる例で、従一位に叙せられている[注釈 8]

しかし大奥側もこういったことは座視しておけず、様々な対策をした結果(例えば春日局がとんでもない権勢を誇ったことから、乳母が乳を上げるときは顔を覚えられないように黒い布で顔を隠した)、側室や将軍生母の力は、時代が下るとともに低下していった。江戸時代後期になると、側室はたとえ我が子が将軍世子であっても自身の地位は一介の女中のそれと同等にとどまり、我が子が将軍になって初めてお上(おかみ、将軍家の一員)として遇された。その他の側室は落飾して「○○院」と号して、二の丸御殿(将軍の子どもを産んだ側室)や桜田御用屋敷で静かに余生を過ごした。

徳川将軍家側室一覧将軍名側室名
初代 家康[注釈 9]西郷局 下山殿 養珠院 長勝院 良雲院 茶阿局 清雲院 英勝院 西郡局 雲光院 正栄院 相応院 泰栄院 養儼院 蓮華院 普照院 信寿院 法光院 三条氏 他 
02代 秀忠浄光院[注釈 10]
03代 家光宝樹院 桂昌院 順性院 自証院 永光院 芳心院 定光院 おまさ
04代 家綱養春院 円明院
05代 綱吉瑞春院 寿光院 清心院
06代 家宣月光院 法心院 蓮浄院 本光院
07代 家継
08代 吉宗深徳院 本徳院 深心院 覚樹院 おさめ お咲
09代 家重至心院 安祥院
10代 家治蓮光院 養蓮院
11代 家斉香琳院 妙操院 勢真院 真性院 芳心院 速成院 清昇院 皆春院 本性院 専行院 慧明院 青蓮院 超操院 智照院 本輪院 宝池院 
12代 家慶本寿院 清涼院 妙華院 お波奈 殊妙院 見光院 妙音院 秋月院
13代 家定豊倹院
14代 家茂不明
15代 慶喜新村信 中根幸 一色須賀 お芳

出生の子が将軍になった人物は名前を太字で、孫が将軍になった人物は斜字で表示
大奥女中

大奥に住む女性たちの大部分を占めていたのが女中たちであった。ちなみに幕府から給金を支給されていた女中たちすべてを「大奥女中」と言い、実際には将軍家の姫君の輿入れ先や息子の養子先の大名家にも存在していたという。女中の人数は最盛期で1000人とも3000人とも言われる。

女中は基本的に将軍付と御台所付の女中に大別されているが、役職名はほとんど同じである。ただし、格式や権威に関しては将軍付の方が高かった。また、特定の主人を持たない女中たちを「詰」と呼んだ。

序列や役職名は時代によって異なるが、江戸時代後期の奥女中の役職は以下の通りであった。

大奥女中一覧階級読み方主な役職
上臈御年寄じょうろうおとしより御台所の御用や相談役を担当。御台所に同伴してきた京の公家出身女性の名誉職であることが多かったと言われている(
上臈御年寄を参照)。
御年寄おとしより大奥の万事を取り仕切る最高権力者。「表」の老中に相当する(御年寄を参照)。
御客応答おきゃくあしらい諸大名からの女使が大奥を来訪した際の接待役を担当する。
中年寄ちゅうどしより御年寄の指図に従う代理役。献立のチェックから毒見役までをこなした。
中揩ソゅうろう将軍・御台所の身辺世話役。家柄や器量の良い女性が選ばれこの中から側室が選ばれていた(御中を参照)。
御小姓おこしょう御台所の小間使。7歳?16歳くらいの少女の場合が多かった。
御錠口おじょうぐち大奥と中奥の出入り口である錠口の管理を担当した。
表使おもてづかい外公役。御年寄の指図で物資調達を広敷役人に要請していた。
御右筆ごゆうひつ日記から書状に至る一切の公文書管理を担当。諸大名からの献上品の検査役も担っていた。
御次おつぎ御膳や様々な道具の運搬から対面所掃除などを担当。
切手書きってがき七ツ口を通ってやってくる外部からの来訪者の持つ「御切手」という通行手形をあらためる役職。
呉服之間ごふくのま将軍、御台所の衣装仕立て係。


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