大塚明夫
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著名な家族大塚周夫(父、2015年没)[5][11]
富沢亜古(再従姉弟)
公式サイト大塚 明夫|所属タレント|マウスプロモーション
公称サイズ(時期不明)[7]
身長 / 体重182 cm / 73 kg
活動
活動期間1988年 -
デビュー作シルバー(『あいうえおアニメ 世界名作童話全集』)
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

大塚 明夫(おおつか あきお、1959年昭和34年〉11月24日[7][8][12] - )は、日本声優ナレーター[9]俳優東京都新宿区歌舞伎町出生、国立市出身[6]マウスプロモーション所属[10]。父は声優の大塚周夫[5]
来歴
生い立ち

東京都新宿区歌舞伎町にあった新宿赤十字産院(後の新宿赤十字病院)で生まれ、小学校入学時に国立市へ転居[6]

役者として活動する前は、役者である父の周夫とうまくいっておらず「誰が役者になんかなるか!」と息巻いて大学を中退。製薬会社に勤めるが、3、4日で退社し、父の周夫に「会社をやめてきたので、居候させて」と言っていた[13]。その後、マグロ漁業の船に乗ろうと考えていたが、歯の治療が間に合わず、乗る予定だった船も座礁して乗れなかったという[11]。23歳まではトレーラーの運転手をしていた[14]。その後、「ちょっと待てよ?」、「このままこの仕事を続けていても、歳を取ったとき、同じように働き続けるのは難しいのではないか」と考えるようになり、毎日の生活がルーティーンになっていることに退屈し、モヤモヤを解消しようと月給のもらえる社会人からドロップアウト[15]。そのころ、ある女性を好きになったものの、その女性には劇団員の彼氏がおり「男の人は夢があるほうが素敵」と言われ交際を断られたことがきっかけとなり、「役者になってやる」と発奮する[14]

それまで中途半端に生きていたため、選択肢が多いわけではなく、その限られた選択肢の中で「乾坤一擲、夢があるほうに進もう。」と考えて、役者の世界に足を踏み入れる[15]。母とは「30歳で目処がつかなかったら辞める」という話をしており、「目処は付くはずだ」という自信があったが、「みんなも夢を持とう!」とは決して言えなかった[15]
キャリア

最初は仲代達矢主宰の無名塾の入所試験に臨み、受験者1000人中6人まで選考に残ったが[13]、塾長の仲代の方針でその年は女性しか取らないということで落選[5]。次に父から学費17万を借りて、文学座の養成所である文学座演劇研究所に入所するも、研修生には残れず1年で卒業[11]。その後、賀原夏子主宰の劇団NLT[15]井上ひさし主宰のこまつ座に入団する[11]。しかし生活が苦しく、父から声優の仕事を紹介され[8][16]、現在に至っている[14]

声優デビュー作はOVA『あいうえおアニメ 世界名作童話全集』のシルバー[17]

デビュー後から現在まで一貫してマウスプロモーションに所属しているが、明夫はデビューから支えてくれた納谷六朗と妻の光枝、息子の僚介に恩義を感じているため、今後も移籍については考えていないという[18]

2006年3月25日、「東京国際アニメフェア2006」で開催された「第5回東京アニメアワード」で、声優賞(『ブラック・ジャック』)を受賞。
現在まで

2012年10月に開催された「マチ★アソビ vol.9」の「ニュータイプアニメアワード2012」にて男性声優賞を受賞し、ライダー(『Fate/Zero』)で男性キャラクター賞を同じく受賞している。また、2015年に「第9回(2014年度)声優アワード」にて富山敬賞を受賞[19]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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