大坂城
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最上階は、30人ほど入ると関白の服に触れるほどであったとルイス・フロイスの『日本史』にある[25]

天守の復元案には、一番壮大で華やかな『大坂夏の陣図屏風』(黒田屏風)を元に、『大坂冬の陣図屏風』、『大坂城図屏風』などが参考にされている場合が多い。特に大坂夏の陣図と冬の陣図では天守の姿が大きく異なっているため、夏の陣のものは再建または改築されたものであるといい、それに沿った復元案も三浦正幸などから出されている。黒田長政によって作成された黒田屏風の姿に近い宮上茂隆の復元案は、大阪城天守閣内の豊臣大坂城再現模型のモデルになっている。
徳川大坂城天守徳川大坂城天守(願生寺指図を元にしている。)

1626年寛永3年)竣工、1665年寛文5年)落雷により焼失。

徳川大坂城の天守は江戸城の本丸・初代慶長度天守の配置関係と同配置に建てられたと見られている。天守台は大天守台の南に小天守台を設けているが小天守は造られずに、踊り場のような状態だった。天守へは、本丸御殿からの二階廊下が現在の外接エレベータの位置に架けられていた。

建物は独立式層塔型5重5階地下1階で、慶長度江戸城天守を細身にしたような外観で、白漆喰塗籠の壁面だったとみられている。屋根は慶長度江戸城天守が鉛瓦葺なのに対して、創建当初の名古屋城天守と同様に最上重屋根は銅瓦(銅板で造られた本瓦型の金属瓦)葺で、以下は本瓦葺だったという。高さは天守台を含めて58.32メートルあったとみられている。

規模は次のようになる(南北?東西、5階以外の柱間:7尺間)。

1階:17間?15間

2階:14間?12間

3階:11.5間?9.5間(入側縁のみ1.5間)

4階:9間?7間

5間:7間?5間(実際は8間(柱間:6尺1寸間)?6間(柱間:5尺8寸間))

江戸城天守や名古屋城天守と比較すると、1階規模は江戸城の18間?16間よりも1間小さくこれは名古屋城も同様である。一方で5階の規模は何れも8間?6間だが、1・2階が同規模故に逓減率が小さい名古屋城が7尺間なのに対して、順に逓減する大坂城は先述のように柱間を小さくして実現している。

天守の図面は、内閣文庫所蔵の『大坂御城御天守図』(内閣指図)と、大坂願生寺所蔵の『大坂御天守指図』(願生寺指図)がある。それぞれは相違しており、内閣指図の外観は二条城天守とほぼ同じ破風配置で願生寺指図の外観は慶長度江戸城天守と同じ破風の配置である。現在は後者の指図が実際に建てられた天守を反映していると判断されている。このことから江戸城の初代天守の縮小移築との説もある。
復興天守

1931年昭和6年)11月7日竣工。

現在、大坂城(大阪城)を象徴し、大阪市の象徴となっているのが、博物館も兼ねた大阪城天守閣である。

陸軍用地であった旧本丸一帯の公園化計画に伴って1928年(昭和3年)11月に就任した当時の第7代大阪市長關一によって再建が提唱され、市民の寄付金により1931年(昭和6年)11月7日に竣工した。この市民の寄付には、申し込みが殺到したため、およそ半年で目標額の150万円(建設資金としては現在(2021年時点)のおよそ12、3億円に相当[注 5])が集まった。そのうちの25万円は住友財閥総帥住友友成の寄付である。150万円の使い道は天守の再建に47万円、第四師団司令部庁舎の建築に80万円、大阪城のうち本丸などの一部の公園化(北部は大阪砲兵工廠、残りの大半は第四師団の敷地)整備費用に23万円である。

昭和以降、各地で建てられた復興天守の第一号である。(洲本城天守閣(1928年)が先行するが、こちらは模擬天守。)

建物は、徳川大坂城の天守台石垣に新たに鉄筋鉄骨コンクリートで基礎を固めた上に、鉄骨鉄筋コンクリート構造を吊り下げ工法を用いて建てた。高さは54.8メートル(天守台・鯱を含む)。5層8階(入口のある1階部分は地下)からなっており、復興天守の中は博物館「大阪城天守閣」となっている。

外観は『大坂夏の陣図屏風』を基に、大阪市土木局建築課の古川重春が設計、意匠は天沼俊一、構造は波江悌夫片岡安、施工は大林組が担当した。設計の古川は、建築考証のために各地の城郭建築を訪ね、文献などの調査を行って設計に当たっておりその様子は古川の著書『錦城復興記』に記されている。

大坂城の天守は、豊臣大坂城と徳川大坂城のそれぞれで建っていた場所や外観が異なるが、復興天守閣では初層から4層までは徳川時代風の白漆喰壁とした一方、5層目は豊臣時代風に黒漆に金箔でレリーフ(絵図では白鷺)の絵を描いている。この折衷に対しては諸々の議論があり、豊臣時代もしくは徳川時代どちらかの形式に統一すべきとの意見もある。最上階高欄下の外壁などにあしらわれた虎のレリーフは、狩野山楽の伏虎図をもとに日本画家の竹内栖鳳が下絵を描き、鋳刻家の大國壽郎が原型を製作した[27]。この虎のレリーフは1935年(昭和10年)12月10日に創設された大阪野球倶楽部のチームの愛称「大阪タイガース」(現・阪神タイガース)の由来になったとも言われている[28]

1995年平成7年)12月から1997年(平成9年)3月にかけて、平成の大改修が行われた。この時、建物全体に改修の手が加えられ、構造は阪神・淡路大震災級の揺れにも耐えられるように補強され、外観は壁の塗り替え、傷んだ屋根瓦の取り替えや鯱・鬼瓦の金箔の押し直しが行われた。また、身体障害者や高齢者向けにエレベーターが小天守台西側(御殿二階廊下跡)に取り付けられた。施工は大林組[29]2007年(平成19年)の外壁の塗り替えの際には、5層目の塗装がより豊臣時代に近いデザインに改められた。

30年で焼失した豊臣大坂城天守、39年で焼失した徳川大坂城天守に比べて、復興天守は最も長命の天守となっており、1997年(平成9年)9月3日、国の登録有形文化財に登録された。

屋根に見られる緑色は銅瓦の緑青によるもの。
遺構蛸石

現在、城内には、大手門、焔硝蔵、多聞櫓、千貫櫓、乾櫓、一番櫓、六番櫓、金蔵、金明水井戸屋形などの建物遺構が残っており、国の重要文化財に指定されている。また、桜門の高麗門については、明治20年(1887年)に日本陸軍大阪鎮台によって再建されたものであり、国の重要文化財に指定されている。

また、現存する石垣も多くが当時の遺構である。

江戸時代の大坂城は、徳川幕府の三期に渡る天下普請によって再築された。石垣に用いた石は瀬戸内海の島々(小豆島犬島北木島など)や兵庫県の六甲山系(遺跡名:徳川大坂城東六甲採石場)の石切丁場から採石された花崗岩である。また遠くは福岡県行橋市沓尾からも採石された。生駒や笠置、加茂など木津川沿いからも採石されており、廃城になった伏見城の石材も再利用されて運ばれた。

石垣石には、大名の所有権を明示するためや作業目的など多様な目的で刻印が打刻されている。高さ5?6mで最大幅14mに達する巨石が鏡石として数多く使われている。城内最大の巨石は備前国岡山藩藩主・池田忠雄が運んできた本丸桜門枡形にある蛸石で、重量は最大130トンと推定される[注 6]

また、城内4番目の巨石である大手見附石と、5番目の巨石である大手二番石は元は一枚岩で分割したものと判明している。大阪市内や小豆島などには石垣に使われず放置された石材があり「残念石」と言われている。運搬時に落ちた石は「落城」に通じ縁起が悪いとされ捨てられた説がある[30]。現存する多くの鏡石はさほど厚みがなく、本来の石垣の表に置かれた化粧石の役目になっている[31]

徳川氏は大坂城を再建するにあたり、豊臣大坂城の跡を破却して盛り土した上に、縄張を変更して築城したため、現在の大坂城址で見ることができる遺構や二重の堀、石垣は、全て江戸時代の徳川大坂城のものである。大坂の陣で埋め立てられた惣堀を含む豊臣大坂城の遺構は、大阪城公園や周辺のビル・道路の地下に埋没したままで、発掘も部分的にしか行われていない。村川行弘(大阪経済法科大学名誉教授考古学)らによる昭和中期の大坂城総合調査により、徳川氏本丸の地下から秀吉時代の石垣が見つかっており、現在は普段は一般には開放されていない蓋付きの穴の底に保存されている。

また、2003年(平成15年)には大手前三の丸水堀跡の発掘調査で、堀底からは障壁のある障子堀が検出され、堀の内側の壁にトーチカのような遺構も見つかった。また、この発掘調査によって、堀自体が大坂冬の陣のときに急工事で埋められたことを裏付ける状況証拠が確認されている。豊臣時代の石垣を公開する計画があり、そのための募金活動が2013年から行われている[32]
城内の主な巨石

順位位置石名推定重量推定石の産地担当大名
1桜門枡形蛸石約130トン
備前国犬島岡山藩池田忠雄
2京橋門枡形肥後石約120トン讃岐国小豆島岡山藩池田忠雄
3桜門枡形振袖石約120トン備前国犬島岡山藩池田忠雄
4大手門枡形大手見付石約108トン讃岐国小豆島熊本藩加藤忠広
5大手門枡形大手二番石約85トン讃岐国小豆島熊本藩加藤忠広
6桜門枡形碁盤石約82トン備前国沖ノ島か北木島岡山藩池田忠雄
7京橋門枡形京橋口二番石約81トン讃岐国小豆島岡山藩池田忠雄
8大手門枡形大手三番石約80トン讃岐国小豆島熊本藩加藤忠広
9桜門枡形桜門四番石約60トン備前国犬島か前島岡山藩池田忠雄
10桜門枡形竜石約52トン備前国沖ノ島岡山藩池田忠雄
11桜門枡形虎石約40トン備前国沖ノ島岡山藩池田忠雄

重要文化財建造物の画像


多聞櫓

手前から大手門、大手門北方土塀、多聞櫓、千貫櫓


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