『古事記』上つ巻、及び『日本書紀』神代紀(下)に拠れば、スクナビコナらと共に「大国主神が行った国作りとは、人々に農業や医術を教え、生活や社会を作ること」であったとされる[8]。荒ぶる八十神を平定して日本の国土経営の礎を築いた。また出雲大神には祟り神としての側面があり、転じて「病を封じる神(医療神)」になったという[8][9]。古事記には、出雲大神の祟りで口がきけなかった本牟智和気命(垂仁天皇第一皇子)が、出雲大神に参拝することで口が利けるようになったとの逸話がある[10]。
医療神としての信仰の事例を近世挙げると、1883年(明治16年)10月に明治天皇皇后(昭憲皇太后)[11]もしくは大正天皇の生母柳原愛子が病弱だった明宮(のち大正天皇)の健康を祈り[12]、出雲大社より大国主の分霊をとりよせ、明宮が生活していた中山忠能邸の神殿に祀っている[13][14]。
大正天皇は皇太子時代の1907年(明治40年)5月27日[15]、軍令部長東郷平八郎大将と共に[16][17]、出雲大社を参拝した[18][19]。先述の「記紀にて人々に医術を教えた事による医療神信仰」に加えて、大正天皇は己卯の年の生まれ(平易に言えば干支は卯年の生まれ)であるので、(大国主の兄弟神たち・八十神に嘘の治療法を教えられて浜辺で泣いていた兎を正しい治療法・蒲の穂の花粉で癒やしたという因幡の白兎の)[8]逸話等から験を担いだものとされる。 「大国」はダイコクとも読めることから同じ音である大黒天(大黒様)と習合していった[20]。 大国主神を祀る神社は非常に多く、全国の一宮を中心に無数に存在するため、ここでは主な神社を列挙する。
神仏習合
祀る神社
出雲大社(島根県出雲市)
物部神社 境内 稲荷神社、一宮祖霊社(島根県大田市)
大洗磯前神社(茨城県大洗町)
大中神社(茨城県常陸太田市)
神田明神(東京都千代田区)