大命降下
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政治学者の村井良太は、1924年(大正13年)7月に松方正義が死去して元老が西園寺公望一人だけになり、元老という憲法上の機関でないものが首相選定を担っているという状況が強く批判されるようになってきたが、首相選定方式を改革する余地があったと指摘している[4]。実際、第二次護憲運動の最中にも「政変の場合に於ける御下問範囲拡張問題」として議論されていたという[5]。これは宮内大臣牧野伸顕の発案と推測され、1924年(大正13年)2月末当時、松方が危篤状態にあり、今後の首相選定方式はどうあるべきかを西園寺に相談しようとしたこと、「御下問範囲」を拡張することによって元老の候補者を用意しておこうという狙いがあったとみられる[6]
元老協議方式の再編[7]
元老を新たに追加して、従来通り、元老間での話し合いで次期首相を奏薦する。元老の追加で制度的永続性を確保できるという利点があるが、正当性と機能性が漸次低下していくという問題を解決できず、また、新たに元老になる資格のある人物が払底しているという欠点がある。
首相指名方式
退任する首相が次期首相を奏薦する。実際、内閣制度発足当初に行われていた[8]。次期首相の指名を明治憲法第55条第1項で定められた国務大臣の輔弼責任ととらえられるので制度的永続性と正当性があるが、党派政治になるという欠点がある。実際、当時の日本のように、実質的な議院内閣制とはいえ、下院が後継首相を指名するという明文規定がないイギリスの政治では慣例として行われていることだが、当時の日本では天皇が「統治権の総覧者」として内閣および議会から自立した存在の「大権君主」であることが求められていて、次期首相の選定権を天皇の手中に留保しておくことがぜひとも必要であった。政党政治の下での首相指名方式の定着は国民の選挙で選出された議会政党の首領が事実上の君主権の行使者となる事態をもたらすからである[9]
枢密院諮問方式
枢密院が次期首相候補を諮問し奉答させる。明治憲法第56条にのっとって行われ、同院は最も権威のある諮問機関なので正当性があり、制度的永続性を確保できるという利点があるが、同院の保守性という欠点がある。
重臣協議方式
枢密院議長、貴族院議長、衆議院議長、首相経験者といった一定の資格者に諮問する。従来の元老協議方式に基づきつつ、諸外国にも例があり、元老を新たに追加する必要がなく、制度的永続性と正当性があるが、世論の支持を得られるかという疑問がある。
内大臣指名方式
内大臣が次期首相を奏薦する。内大臣府官制により常侍輔弼が定められていて、党派政治から距離を置くことができ、制度的永続性を確保できるという利点があるが、宮中府中の別といわれるように、内大臣は政治的判断をすべきではないという不文律があり、内大臣の席を巡って政治的陰謀が行われる可能性があるという欠点がある。

現実に西園寺が死去する数年前から導入された方式は重臣協議方式と内大臣指名方式の混合された形となった。重臣の協議を俗に重臣会議と称した。
語の使用

日本史学界では内閣制度発足後間もない時期の記述においても「大命」「大命降下」という用語が用いられている[10]。しかし同時代においては伊藤博文が初代内閣総理大臣に就任した頃からしばらくの間「大命降下」もしくは「大命」という用語はほぼ使われていなかった[11]。これは内閣の組織が総理大臣候補者自身ではなく、いわゆる元勲らの協議で行われていたためである[12]第2次松方内閣発足前ごろから、内閣総理大臣候補者に対して「内閣組織の勅命」が下される、またはそれに類似する用語が新聞報道等で用いられ始めた[12]。 明治29年(1896年)9月12日の新聞『日本』の記事「準備松方内閣」において、「一昨日伯の参内は無論大命を御受するに就ての準備なりし」という表現が見られるが、ほとんどの新聞記事では「大命」という語は用いられなかった[13]

明治30年(1897年)12月に松方正義が辞意を申し出、明治31年(1898年)1月に第3次伊藤内閣が成立するが、この過程の報道で「内閣組織の大命」という表現が広く行われるようになった[14]。明治34年(1901年)の第1次桂内閣組閣報道の頃には『東京朝日新聞』や『東京日日新聞』をのぞいてはほとんどが「大命」の語が主流となっていく[14]大正元年(1912年)の第3次桂内閣組閣時には「大命が降る」「大命降下」という用語が定着するようになった[15]
出典^ .mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}"大命降下". デジタル大辞泉. コトバンクより2021年12月15日閲覧。
^ 佐々木雄一 2021, p. 313.
^ 日本大百科全書(ニッポニカ)「重臣」
^ 『政党内閣制の成立』 208頁。
^ 『政党内閣制の成立』 210-212頁。
^ 『青年君主昭和天皇と元老西園寺』 180頁。
^ 『政党内閣制の成立』 211頁。
^ 『政党内閣制の成立』 209頁。
^ 『青年君主昭和天皇と元老西園寺』 192-193頁。
^ 佐々木雄一 2021, p. 313-314.
^ 佐々木雄一 2021, p. 314.
^ a b 佐々木雄一 2021, p. 325-329.
^ 佐々木雄一 2021, p. 329.
^ a b 佐々木雄一 2021, p. 329-330.
^ 佐々木雄一 2021, p. 333.

参考文献

永井和『青年君主昭和天皇と元老西園寺』(初版)京都大学学術出版会(原著2003年7月10日)。ISBN 4876986142。 

村井良太『政党内閣制の成立 一九一八?二七年』(初版)有斐閣(原著2005年1月20日)。ISBN 464107688X。 


佐々木雄一「「大命降下」の成立と内閣の変容」『明治学院大学法学研究』第110巻、明治学院大学法学会、2021年。 

関連項目

議院内閣制

内閣総理大臣

内閣総理大臣指名選挙

憲政の常道
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