大受久晃
[Wikipedia|▼Menu]
子飼いの関取としては鬼嵐を育てた。

年寄としては1980年から審判委員に就任し、2009年1月場所まで務めた。その後、2011年4月から再び審判委員となった。元大関でありながら、師匠と同様に出世欲があまりないためか、長らく役員や役員待遇の経験がなく、役員ではない親方が組織する年寄会の会長を務めていたが、2012年1月場所後の役員改選で役員待遇に抜擢され、審判部副部長に就任。2014年3月場所後の改選でも、停年(2015年3月場所限り)まで1年しか残っていないながら引き続き審判部副部長を務めた(2015年1月場所まで)。
2015年1月場所後に、自身が停年間際となったことと後継者が不在であることを理由に同場所限りで朝日山部屋を閉鎖し、桐山親方(元小結・黒瀬川)や三段目以下の力士ら計8人が伊勢ヶ濱部屋へ転籍となった[9]
2015年3月場所千秋楽をもって日本相撲協会の停年となったが、前年秋に導入された年寄再雇用制度は辞退する意向を示し、そのまま退職した。朝日山の名跡については、退職前の2014年8月には既に元関脇の琴錦(当時は借株で中村を襲名していた)へ譲渡する話になっており[10]、その後実際に元琴錦が襲名して二所ノ関一門で朝日山部屋が再興されると、元琴錦に対して自身と同じ伊勢ヶ濱一門への移籍を勧めて、2017年1月13日付で新・朝日山部屋は伊勢ヶ濱一門の所属になった[11]
エピソード

大受の現役時代の技術では一旦入れたシリコーンは除去不能であったため、全体的に頭の形状自体が変形し頭頂部が突き出ていた
[注釈 4]。引退後は長く務めていた勝負審判時に、特に隠しもしなかったため、頭頂部が尖った楯山の姿は平成20年代始め頃までは毎場所幕内取組時に土俵下で見ることができた。その後頭痛に悩まされるようになったため、2009年春に除去手術を受けた。杉山邦博によると、頭の中でシリコーンがグチャグチャになっていたらしく全てを綺麗に取り除くことはできなかったようだという(同年5月に出演したTBSラジオの番組にて発言)。見習時代になかなか新弟子検査を通過できないことを指して「ただ飯食い」と馬鹿にされて泣いたこともあった大受としてはシリコンによって尖った頭は誇りであるようであり、後年「あの瞬間が人生で一番うれしかった。新十両のときより、史上初の三賞を独占した時より何よりもうれしかった」と本人が明かしたこともある[4]

九重部屋に足しげく出稽古に通っていて、「カラスの鳴かない日はあっても、大受が北の富士のところへ来ない日はない」と言われるほどであり、北の富士は「シリコンが入っていると、ぼくら稽古しても痛かったですよ。とんがってるから、刺さってくるんだ。あれがドーンと来るんだから、たまったもんじゃないですよ」と述べている[12]

非常に脇が固かったため脇毛がすり減ることが無く[注釈 5]、付いた異名は「脇毛の大関」[2]

主な成績

通算成績:462勝388敗31休 勝率.544

幕内成績:308勝296敗26休 勝率.510

大関成績:30勝32敗13休 勝率.484

現役在位:74場所

幕内在位:42場所

大関在位:5場所(年6場所制定着以降では歴代ワースト2位)

三役在位:10場所 (関脇9場所、小結1場所)

三賞:11回

殊勲賞:4回 (1971年3月場所,1973年3月場所,1973年5月場所,1973年7月場所)

敢闘賞:1回 (1973年7月場所)

技能賞:6回 (1970年5月場所,1971年1月場所,1971年5月場所,1973年1月場所,1973年5月場所,1973年7月場所)


金星:なし

各段優勝

十両優勝:1回 (1970年3月場所)

大受久晃 一月場所
初場所(
東京) 三月場所
春場所(大阪) 五月場所
夏場所(東京) 七月場所
名古屋場所(愛知) 九月場所
秋場所(東京) 十一月場所
九州場所(福岡
1965年
(昭和40年) x (前相撲) 西序ノ口20枚目
5–2  西序二段93枚目
2–5  東序二段108枚目
4–3  東序二段64枚目
6–1 
1966年
(昭和41年) 西序二段5枚目
4–3  西三段目90枚目
2–5  西序二段15枚目
5–2  東三段目66枚目
3–4  西三段目79枚目
4–3  西三段目44枚目
6–1 
1967年
(昭和42年) 西三段目6枚目
5–2  西幕下80枚目
4–3  西三段目17枚目
6–1  西幕下42枚目
5–2  西幕下26枚目
2–5  東幕下37枚目
6–1 
1968年
(昭和43年) 東幕下17枚目
6–1  西幕下9枚目
4–3  東幕下6枚目
3–4  東幕下9枚目
3–4  西幕下14枚目
3–4  東幕下20枚目
4–3 
1969年
(昭和44年) 東幕下16枚目
4–3  東幕下13枚目
5–2  東幕下6枚目
5–2  東幕下2枚目
6–1  西十両10枚目
10–5  東十両4枚目
6–9 
1970年
(昭和45年) 東十両9枚目
12–3  西十両筆頭
優勝
14–1 東前頭6枚目
9–6
技 西前頭筆頭
6–9  東前頭3枚目
7–8  西前頭3枚目
5–6–4[注釈 6] 
1971年
(昭和46年) 西前頭5枚目
11–4
技 西関脇
8–7
殊 東関脇
8–7
技 西関脇
4–11  西前頭2枚目
6–9  西前頭4枚目
8–7 
1972年
(昭和47年)西前頭筆頭
7–8 東前頭3枚目
7–8 西前頭4枚目
8–7 東前頭3枚目
6–9 東前頭4枚目
7–8 東前頭6枚目
9–6 
1973年
(昭和48年)東前頭筆頭
10–5
技東小結
10–5
殊東関脇
11–4
殊技東関脇
13–2
殊技敢東大関
2–6–7[注釈 7] 西張出大関
9–6[注釈 8] 
1974年
(昭和49年)西大関
9–6 東張出大関
4–5–6[注釈 9] 西張出大関
6–9[注釈 8] 東張出関脇
9–6[注釈 10] 西関脇
8–7 東関脇
9–6 
1975年
(昭和50年)東張出関脇
4–11 東前頭4枚目
8–7 東前頭2枚目
7–8 西前頭3枚目
4–2–9[注釈 11] 西前頭8枚目
5–10 東前頭13枚目
9–6 
1976年
(昭和51年)西前頭7枚目
11–4 東前頭2枚目
7–8 東前頭3枚目
6–9 西前頭6枚目
6–9 東前頭9枚目
6–9 東前頭11枚目
9–6 
1977年
(昭和52年)西前頭5枚目
6–9 東前頭9枚目
4–11 西十両筆頭
引退
0–4–5xxx
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞     その他:★=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

幕内対戦成績

力士名勝数負数力士名勝数負数力士名勝数負数力士名勝数負数
青葉城05青葉山20 朝登20旭國88
荒勢55大潮24大錦22大ノ海11
大鷲40魁輝24魁傑129和錦10
和晃20北瀬海54北の湖320(1)北の富士313(1)
清國6(1)8(1)麒麟児14蔵間10黒姫山1211
高鉄山31琴風01琴ヶ嶽12琴櫻511 
琴乃富士11金剛103安達20白田山10
大旺20大峩101大麒麟913(1)大豪11


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:46 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef