大友義鑑
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^ 美濃守。姓は「ぶにょう」と読む。一萬田貞直の子・豊饒直弘から続く家系とされる。途中からは竈門を姓とし、大友親繁期の家臣・竈門繁貞の子孫とみられる。
^ 子の鎮直は二階崩れの変前に殺害された小佐井大和守と同一人物とされているが、この当時の大友氏当主は義鑑なので鑑直の間違いではないかと思われる。また、1580年の龍造寺氏との戦いで鑑直が一旦捕虜となったという史実もある。
^ 初名:戸次直貞。分家・藤北戸次氏第2代当主親宗の兄・親繁の子で叔父・親就の養子となる。兄の鎮時、鎮実ともに大友義鎮(宗麟)の代から仕え、(理由は不明だが)宗麟からその父義鑑の「鑑」の字を賜った。のち立花姓を賜る。文禄の役(第一次平壤城の戦い)にて戦死。
関連項目
『大友宗麟?心の王国を求めて』(2004年、NHK、演:細川俊之)
表
話
編
歴
豊後大友氏第20代当主(1515年 - 1550年)
能直
親秀
泰直(頼泰)
親時
貞親
貞宗
氏泰
氏時
氏継
親世
親著
持直
親綱
親隆
親繁
政親
義右
親治
義長
義鑑
義鎮(宗麟)
義統
義乗
義親 | 断絶
※後に高家として再興
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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