以降テレビドラマを中心に一転して「しっとりとした日本的美人像」を演じ[13]、映画『おはん』の魔性の女などさまざまな役を演じ分け、独特の存在感を発揮した[2][14]。
その演技力を買われて主演した橋田壽賀子脚本の『春日局』では大河ドラマ歴代3位となる平均視聴率32.4%(ビデオリサーチ、関東地区調べ)を叩きだした[14]。橋田をはじめ、石井ふく子からも演技力を高く評価されていた。
東映を退社してからの所属芸能事務所は長年「オフィス・アール」であったが、晩年には「ワンポイント」に属していた。
映画『男はつらいよ』シリーズでは、マドンナ役を2度務めた。 バラエティ番組への出演はさほど多くなかったものの、1994年(平成6年)5月19日放映の『ダウンタウンDX』(よみうりテレビ)では、本人たっての希望で、うさぎの着ぐるみを着たり、禿げかつらをつけてコントをしたり、さらに番組内の一コーナー「ダウンタウンの社会見学」[注釈 2]ではセーラー服姿でダウンタウンの2人に同行した。 1996年4月15日にフジテレビ系列で放送がスタートしたバラエティ番組『SMAP×SMAP』の名物コーナー「BISTRO SMAP」の第1回のゲストが大原であり、大原の死去から1週間後の2009年8月10日に、大原への追悼の意を込めて同回が再放送された。この時の映像は、のちに番組内でも幾度となく紹介された[注釈 3]。 テレビCMへの出演も多く、とりわけ、和服姿でぷっと頬を膨らませ、かすれた声で甘えるように「すこし愛して、ながーく愛して」という台詞で知られる、サントリーレッドのCMは[注釈 4]、その言葉どおり多くの人に長く愛され[14]、1980年(昭和55年)から1990年(平成2年)まで放送された[2]。歌手としても、数枚のレコードをリリースした。明石家さんまや清水ミチコによく声真似をされた。 1975年に神経疾患であるギラン・バレー症候群を発症[15]。1999年11月から翌年にかけてギラン・バレー症候群が再発したとして芸能活動を休止した。その後、休止中にギラン・バレー症候群の主治医が亡くなった。 2008年11月には足元がふらついて自宅で転倒、右手首の骨折と膝の打撲という重傷を負った[16]。この転倒は、同症候群の影響で身体のバランスを崩したものとされていたが[17]、同じくギラン・バレー症候群を患った演出家の鴨下信一や専門医はこの病が再発することは滅多にないとして再発に懐疑的であり[15][18]、大原の実弟も再発は姉の思い込みだったのではないかと否定的である[19]。 1999年に左目の二重まぶたの整形手術をしたが手術は失敗し、まぶたが腫れ上がってしまったため、主演が決まっていた映画『天城越え』(第2作)を降板した[20]。その後、再手術をして可能な限り元に戻したが、自宅に引きこもるようになった。
バラエティ番組・テレビCMへの出演
病歴
ギラン・バレー症候群
その他手術と活動休止
Size:207 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef