大原麗子
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六本木野獣会に属し、大野伴睦の長男で東京放映の社長である大野直にスカウトされ[5]、芸能界入り。中尾ミエ主演の東宝映画『夢で逢いましょ』(1962年)にも端役で出演していたが、1964年昭和39年)、テレビドラマ『幸福試験』(NHK)の出演でデビューし、翌年、東映へ入社。佐久間良子主演の『孤独の賭け』で初めて本格的な映画に出演[6]。同時期入社の城野ゆきと共に[6]東映東京の一押し新人女優として売り出され[6]1966年(昭和41年)高倉健主演のゴールデンウイーク映画『網走番外地 荒野の対決』で人気が出始めたことから[6]梅宮辰夫緑魔子コンビによる「夜の青春シリーズ」第7作『赤い夜光虫』で男優一押し新人・谷隼人とコンビで準主役に格上げされた[6]。その後も「夜の青春シリーズ」をはじめ、高倉健の『網走番外地』シリーズ、千葉真一主演作品での助演等、数々の映画に出演したが、この時期の東映は不良性感度映画を推進していたため[7]、大原の役は酒場ホステスパンスケ役が多かった[2][5][8]。他社出演した『ドリフターズですよ! 前進前進また前進』(東宝)でもお色気担当だった[9]。1971年に東映との契約切れを機に渡辺プロダクションに移籍[10][11]。ただ、1972年2月14日に東京プリンスホテルであった渡瀬恒彦との婚約発表を伝える『スポーツニッポン』1972年2月15日の記事に「東映の渡瀬恒彦と同じく東映女優の大原麗子」と書かれており[12]、同席した岡田茂東映社長が「二人とも我が社の看板スターです。今後ともよろしく」と報道陣に話した[12]

以降テレビドラマを中心に一転して「しっとりとした日本的美人像」を演じ[13]、映画『おはん』の魔性の女などさまざまな役を演じ分け、独特の存在感を発揮した[2][14]

その演技力を買われて主演した橋田壽賀子脚本の『春日局』では大河ドラマ歴代3位となる平均視聴率32.4%(ビデオリサーチ、関東地区調べ)を叩きだした[14]。橋田をはじめ、石井ふく子からも演技力を高く評価されていた。

東映を退社してからの所属芸能事務所は長年「オフィス・アール」であったが、晩年には「ワンポイント」に属していた。

映画『男はつらいよ』シリーズでは、マドンナ役を2度務めた。
バラエティ番組・テレビCMへの出演

バラエティ番組への出演はさほど多くなかったものの、1994年(平成6年)5月19日放映の『ダウンタウンDX』(よみうりテレビ)では、本人たっての希望で、うさぎの着ぐるみを着たり、禿げかつらをつけてコントをしたり、さらに番組内の一コーナー「ダウンタウンの社会見学」[注釈 2]ではセーラー服姿でダウンタウンの2人に同行した。

1996年4月15日フジテレビ系列で放送がスタートしたバラエティ番組『SMAP×SMAP』の名物コーナー「BISTRO SMAP」の第1回のゲストが大原であり、大原の死去から1週間後の2009年8月10日に、大原への追悼の意を込めて同回が再放送された。この時の映像は、のちに番組内でも幾度となく紹介された[注釈 3]

テレビCMへの出演も多く、とりわけ、和服姿でぷっと頬を膨らませ、かすれた声で甘えるように「すこし愛して、ながーく愛して」という台詞で知られる、サントリーレッドのCMは[注釈 4]、その言葉どおり多くの人に長く愛され[14]1980年(昭和55年)から1990年(平成2年)まで放送された[2]。歌手としても、数枚のレコードをリリースした。明石家さんま清水ミチコによく声真似をされた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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