大元帥
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大元帥たる天皇は大将の階級章に菊花紋章が付された特別な階級章を佩用し、軍服型の御服を着用した[5]。階級章と御服は陸海軍どちらのものも着用していたが、普段は陸軍のものを、海軍のものは海軍の行事の際にのみ着用した。このため、残っている御服姿の写真も前者のものが多い。

明治天皇大正天皇昭和天皇の3名がこれを称した。

井原今朝男は大元帥の呼称について、古来天皇のみが行うことが出来た外寇鎮圧の仏教儀式である大元帥法大元帥明王に対する祈祷)に由来するという考えを呈示している[6]

陸軍大元帥の肩章

陸軍大元帥の襟章

海軍大元帥の肩章

海軍大元帥の襟章

海軍大元帥の袖章

中国
王朝時代

王朝時代の中国では、元帥や大元帥は通常の軍階として用いられた。1127年に靖康の変によって、北宋の皇帝以下の皇族が捕虜となった際に、唯一逃れた康王が大元帥府を開いてとの抗戦軍を組織した事例がある。また反乱組織の長が大元帥を名乗ることもしばしばあった。小刀会劉麗川などがいる。
満洲国陸軍大元帥の御服を着用した康徳帝(1934年)

1934年康徳元年)に愛新覚羅溥儀皇帝となり、皇帝への権力集中が図られた。同日に新京市内で行われた皇帝即位式の際に溥儀は、満洲国のスローガンの1つである「五族協和」を掲げる上で、満洲族の民族色を出すことを嫌った関東軍からの強い勧めで満洲国軍軍服(大元帥服)を着用した。
歴代大元帥


康徳帝

中華民国国民政府陸海空軍大元帥の正装を着用した?介石主席(1943年)

中華民国草創期の1911年10月10日の武昌起義後、黎元洪は革命政府の首班になり、大都督、假定副元帥、假定大元帥に就任している。広東省で発生した護法運動においては護法軍政府(大元帥府)が設置され、大元帥が政軍の全権を握るとされたが、1918年にこの組織は改組された。1922年2月21日には孫文が「中華民国陸海軍大元帥」に就任して、大元帥府を再置している。孫文の死後は胡漢民が大元帥代理となった。1926年12月には張作霖が北京で「中華民国安国軍大元帥」を称し、北京政府の最高権力者となった。南京国民政府では 1935年3月30日に「特級上将」の位が制定され[7]、翌4月1日に国民政府軍事委員会委員長・?介石が叙せられた[8][9]

南京国民政府では 1937年8月11日に「中華民国陸海空軍大元帥」の位が制定され、翌8月12日に国民政府国防最高會議主席・?介石が叙せられた。これは陸海空軍を統括する最上位の将官で、大元帥に相当とされていたが、2000年に廃止された。
歴代大元帥


孫文

張作霖

?介石


中華民国特級上将の肩章

中華人民共和国

1955年毛沢東への授与を想定して中華人民共和国大元帥の地位が制定されたが[10]、毛が授与を辞退したため任官者のないまま1965年に廃止された。なお、十大元帥と呼ばれる将軍たちがいるが、これは「10人の偉大な元帥」の意味である。

中華人民共和国大元帥の襟章

中華人民共和国大元帥の肩章

アメリカ合衆国詳細は「元帥 (アメリカ合衆国)」を参照

アメリカ軍では「Generalissimo」の語は使われず、陸海軍に設けられた元帥の上位の階級であるため、厳密には他国の大元帥とは異なる。なお、空軍海兵隊沿岸警備隊には大元帥の位は置かれていない。
陸軍大元帥
1919年ジョン・パーシング大将が「General of the Armies of the United States」に叙せられた。この階級は「アメリカ合衆国陸軍大元帥」、「合衆国総軍元帥」とも訳される。ただし、パーシング本人は最後まで四つ星の陸軍大将章を佩用し続けた。1945年にダグラス・マッカーサーに贈られる予定があり、六つ星の階級章も制定される予定であったが、本人が辞退し実行されなかった。建国200周年の1976年には、大陸軍総司令官にしてアメリカ初代大統領ジョージ・ワシントンに、連邦議会からこの階級が追贈され、同時に序列最高位の合衆国軍人として扱う大統領布告がなされている[11]
海軍大元帥
1903年ジョージ・デューイ大将が米西戦争の功績により、1899年の日付まで遡り「Admiral of the Navy」に叙せられた[12]。この階級は「海軍大提督」、「海軍主席提督」とも訳される。1945年にチェスター・ニミッツのためにこれと同格の「Flag Admiral(旗旒提督)」の階級創設が検討されたが、実行されなかったため、現在に至るまでデューイただ一人が叙されている。

陸軍大元帥の階級章案

海軍大元帥の階級章

フランス詳細は「フランス大元帥」を参照

アンシャン・レジーム時代のフランスには通常の元帥の上に「国王の陣営と軍隊の大元帥(フランス語: Marechal general des camps et armees du roi)」、いわゆる「フランス大元帥」の位が存在していた。

1847年ニコラ=ジャン・ド・デュ・スールトが叙せられた[13]
ドイツ詳細は「国家元帥」を参照

ドイツには、12世紀以前の神聖ローマ帝国時代に「国家元帥(Reichsmarschall)」の称号が存在した。その後の帝政ドイツヴァイマル共和政を通じて任官者はいなかったが、ナチス・ドイツ時代に「大ドイツ国国家元帥(Reichsmarschall des Grosdeutschen Reiches)」の称号で復活、1940年ヘルマン・ゲーリング空軍元帥が唯一これに叙された。ゲーリングは自身の任命式(英語版)において、国家元帥が国防軍元帥より上位であると言及しており、事実上の大元帥に相当すると言えるが、アメリカ軍のそれと同じで軍の階級の一つとして制定されている。また、ゲーリング唯一人だけ叙されたのは、総統アドルフ・ヒトラーの後継者としての地位を明確にするためとも言われる。

なおヒトラーの軍事上の役職は、国防軍最高司令官および陸軍総司令官であったが、親衛隊のものも含めて特定の階級や称号に叙されることはなかった。

国家元帥の階級章

ロシア・ソビエト


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