井原今朝男は大元帥の呼称について、古来天皇のみが行うことが出来た外寇鎮圧の仏教儀式である大元帥法(大元帥明王に対する祈祷)に由来するという考えを呈示している[6]。 王朝時代の中国では、元帥や大元帥は通常の軍階として用いられた。1127年に靖康の変によって、北宋の皇帝以下の皇族が捕虜となった際に、唯一逃れた康王が大元帥府を開いて金との抗戦軍を組織した事例がある。また反乱組織の長が大元帥を名乗ることもしばしばあった。小刀会の劉麗川などがいる。 1934年(康徳元年)に愛新覚羅溥儀は皇帝となり、皇帝への権力集中が図られた。同日に新京市内で行われた皇帝即位式の際に溥儀は、満洲国のスローガンの1つである「五族協和」を掲げる上で、満洲族の民族色を出すことを嫌った関東軍からの強い勧めで満洲国軍の軍服(大元帥服)を着用した。 中華民国草創期の1911年10月10日の武昌起義後、黎元洪は革命政府の首班になり、大都督、假定副元帥、假定大元帥に就任している。広東省で発生した護法運動においては護法軍政府(大元帥府)が設置され、大元帥が政軍の全権を握るとされたが、1918年にこの組織は改組された。1922年2月21日には孫文が「中華民国陸海軍大元帥」に就任して、大元帥府を再置している。孫文の死後は胡漢民が大元帥代理となった。1926年12月には張作霖が北京で「中華民国安国軍大元帥」を称し、北京政府の最高権力者となった。南京国民政府では 1935年3月30日に「特級上将」の位が制定され[7]、翌4月1日に国民政府軍事委員会委員長・?介石が叙せられた[8][9]。 南京国民政府では 1937年8月11日に「中華民国陸海空軍大元帥」の位が制定され、翌8月12日に国民政府国防最高會議主席・?介石が叙せられた。これは陸海空軍を統括する最上位の将官で、大元帥に相当とされていたが、2000年に廃止された。
陸軍大元帥の肩章
陸軍大元帥の襟章
海軍大元帥の肩章
海軍大元帥の襟章
海軍大元帥の袖章
中国
王朝時代
満洲国陸軍大元帥の御服を着用した康徳帝(1934年)
歴代大元帥
康徳帝
中華民国国民政府陸海空軍大元帥の正装を着用した?介石主席(1943年)